宇宙の根っこにつながる瞑想法


「宇宙の根っこにつながる瞑想法」(飛鳥新社:天外伺朗)を読んだ。著者である天外氏は「CD」「AIBO」を開発したソニーの科学者だ。

この中で書かれている「坐禅」についての説明は面白い。

坐禅の「坐」という字は、2つの「人」と「土」という字が組み合わさっている。これは二人の人が土の上に並んでいるさまだが、実はこの二人は別人ではなく、私たち人間の一人ひとりの心の中の有様をあらわしているのだそうだ。

二人のうちの一人は、泣いたり笑ったり、欲ばったり、怖がったり、移りいく感情のままに揺れ動いている自分の姿であり、もう一人は欲や感情に惑わされない真の自分(仏心)だ。瞑想の自己発見という側面をよく表現している。

更に自力と他力の説明も面白い。

「他力」とは表面上の心の望み(エゴの欲望)ではなく、「より高次の自分」の望みに焦点を合わせれば、それが追い風となって努力が苦でなくなり、自然に物事が解決していく。

「自力」とはエゴの「ああしたい」「これが欲しい」「皆から良く思われたい」という自らの枷から自分を解放して「あるがままを見つめなさい」ということなのだそうだ。

自力の教えの中にも他力が、他力の教えの中にも自力の風が吹いているのを感じることができると氏は言う。両者は共に「思い通りにならないと言ってじたばたする心」を手放し、エゴの目的意識から自由になることが大切だと教えている。

更に氏はエゴを追求する今の競争社会に疑問を投げかけている。

現代社会は「誰よりも優秀でありなさい」「誰よりも豊かでありなさい」「誰よりも強くありなさい」と子供たちに「エゴの目的意識を追いかけなさい」と教えていているという。

皮肉なことに私たちは幼いころから人と比較することを強要させられているということだ。

人と比較するところから不幸が始まるのであれば、私たちは「幸福にならないための教育」を小さい時から受けているのと同じだという。

恐ろしいことだ。

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