喜びは行動とともにある

この動画も多くのことを我々に教えてくれている。

不幸になったり不満を覚えたりするのはたやすい。ただじっと座っていればいいのだ。人が自分を楽しませてくれるのを待っている王子のように。(アラン)

テレビを見て、お酒を飲み、毎日を不機嫌そうに過ごしている父の姿を見ていると、父にとってリタイヤは祝福ではなく、呪いではないかと思えてならなかった。

何もしないで、ただじっと待っていても幸せにはなれない。まずは動くこと、喜びは行動とともにあるとアランは言う。一人さんも行動することの大切さを繰り返し言っている。

行動するためには、楽しいことを考えるとよいと一人さんは言う。

では、私にとっての楽しいこととは何だろうかと考えると、やはり女性にもてることだ。

「男にとって、女にもてることが、一番大切だ 」と言う一人さんの言葉に、激しく賛同する。

一人さんのこの動画を聞いていたら、「嫌われる勇気」というアドラー心理学の書かれた本を思い出した。

嫌われる勇気(ダイヤモンド社、著;岸見一郎、著;古賀史健)

アドラー心理学は知っていたが、正直どういったものかは知らなかった。

あるブログでセミ・リタイヤをする人は必読の書だと書いてあったので読んでみた。

副題が「自己啓発の源流」と言うだけあって、どこかで読んだことのある内容が所々書かれている。(こちらが源流のようだが)

私が面白いと思ったのが、「課題の分離」だ。

私はサラリーマン時代、できるだけ周りの期待に応えようとしてきた。人から嫌われたくないと言う思いからだった。それゆえ仕事を溜めこみ過ぎて大変な思いをしたこともあった。

しかし、どんなに嫌われないようにしても、職場には一定数の私を嫌う人がいた。

こんなに気を使っているのになぜ?彼らと仲良く仕事をするにはどうすればいいのか?悩んだ時もあった。

この本では「私を嫌うのは、私の課題ではなく、私を嫌う人の課題であり、私には関係ない」という。

確かに言われてみれば、その通りだ。私を嫌いな人を好きにさせることはできない。人の心を変えるのは不可能だ。

嫌いな人は無視すればよかったのだ。(仕事上の最低限の付き合い以外は。)逆にそれしかできない。

八方美人では疲れてしまう。それよりも嫌われる勇気を持つことだった。

私が転職回数が多いのは、そういう人間関係の煩わしさがあったのも間違いない。

ある意味、逃げたのだが、それはしかたのないことだった。あのまま居続けたら精神的に耐えられなかっただろう。

私が相場師という職業に憧れたのも、溶接という仕事を選んだのも、人間と関わることを最小限にしたいからだ。

今は働かなくてもいいだけの資産がある。家族以外の誰に嫌われようが構うことはない。

これからはじめる勤め先では、 自分が楽しいく生きられるよう、考え方を変えなければと思っている。

それによって、たとえ、家族以外の人すべてに嫌われようとも。

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