<引用ここから>
* 「貯畜」の持つ本当の意味(前回のつづき)
それでは3番目の、「貯畜」の持つ最も大切な意味合いについて、話してみたいと思います。
それは、あなたが自分の収入の範囲内で生活できる人間になれる、ということなのです。
人間の器の大きさは、必ずしも収入の多寡によって計れるものでないことは明白な事実ですが、話を経済的な側面にのみ限定した場合は、一応収入の多寡をその基準においてみてもよいかと思います。
すると、「貯畜」をするということは、経済的な自らの器の範囲内で(しかもやや内輪めに)生活できる人間であるという証明になります。
このことの意味する重大性に、余りにも気がつかない人が多すぎるのです。
消費性向の強い若い時期、様々な出費を強いられる中年の時期、自らの収入の範囲内で生活する習慣を身につけたということは、もはや金銭的な経済生活において、あなたは完全に自立した主体的な存在である、ということになります。
それは、人生に必要とされる最も中心的な能力をあなたが備えているということであり、あなたは堂々の自信と勇気を持って、この道を歩いていって良いのです。
あなたはあるいは簡単に考えているかもしれませんが、2割の貯畜を少なくとも10年間以上持続するには、かなりの忍耐を必要とすることなのです。しかもその忍耐の大部分は、実は消費に対する欲望を抑えることよりも、テレビや新聞や雑誌たちが、まったく無責任にささやきかけてくる、様々な雑音に対する忍耐なのです。
私などはそういうものの内実を知っていますから何でもないのですが、雑音に対する耐性をつけることこそが、あなたが踏み出す株式投資の道に、どれほど有効に働くか、計り知れないものがあります。
ここであなたは一つの真実を、はっきりと認識しておかなければなりません。(こんなに親切な人が今までいたでしょうかね)
それは高収入は、決して高資産とは結びつかないという事です。
億からの年収のあるKもIもSも別のKもTも、多額の借財に終われている話など芸能界に無数に例がありますが、高収入という事は、例えばローンも組みやすく、例えばカードもゴールドでおだてられ、うのめたかのめでそのポケットが狙われるということを意味し、その誘惑に耐えられずにたいした貯畜をしていない人が、かなりいるのです。
なんといっても一番狙っているのは国で、税金や社会保険料など様々な名目をつけては、高収入から掠め取っていってしまうのです。
お金は、何一つ、問題を解決するものではないことを、しっかりと認識しておいてください。 毎月5万円足りない、あとサラリーが5万円増えたら何とかなるのだが、という場合、サラリー が5万円増えたら、間違いなく6万円足りなくなります。
お金は問題を解決するものではなく、問題を拡大するものなのです。問題は収入の多寡にあるのではなく、あなたがそのような存在であることの方にあるのです が、勿論、誰もそんな事は認めようとしません。
本当はもっと面白い逆説がいくつかあるのですが、そこまではいくら親切な私でもとても書けません。
ただ以上の話を不愉快に感じる人がいたとしたなら、その人にとってこそ本当は必要な考え方であることを、ご理解下さい。本当に必要な情報というものは、えてして無視したい不愉快なものなのです。
ただしこういうことまで書く人間を、通常おせっかいと呼び、人から嫌われます。
お金に関する人間の能力には、3つあります。 お金を稼ぐ能力、お金をためる能力、お金を増やす能力の3つです。
多くの方はお金を稼ぐ能力にばかり注目するのですが、お金を稼ぐ能力がある種の才能を必要とし、最も難しいお金を増やす能力が才能と努力を必要とするのに比べると、お金をためる能力はただ努力のみを必要とする、心構えひとつで誰にでも可能な、最も身近な能力なのです。
以上、私が随分と生意気なことを言っているように思われるでしょうが、この年になって気づ いた事も多々あり、もっと早く知っていたなら、という人生によくある深い悔恨の思い抱いて書かせていただいていますので、ご了承下さい。
理容店でもあるまいし、チョキンチョキンとうるさいことをと、思われる方も多いと思います。 そうです、貯畜くらい退屈なつらいものはありません。 そこで私たちの考え方は、そんじょそこらの愚かなFP(私は彼等の提唱する人生計画的なものが大嫌いです、人生があんな計画どうりに行くはずがない、もしいったとしたら、そんな人生ほどつまらないものはない)などの考えもつかない方向に飛翔していきます。
貯畜はしなければならない、しかし退屈だし現実はなかなか厳しい、そこに株式投資の出番がやって来るのです。
株式投資を貯畜をするための原動力にする、株式投資を貯畜を楽しむための手段にする、 株式投資を貯畜を前進させるアクセルにする、 それが私たちの逆張り投資であり、いずれ詳しく解説できたらと思いますが、勿論次回ではありません。
<引用ここまで>