相場そのままと相場離れ (6)

* 逆張り投資法(2)その正統性の根拠

ここで、何故私たちが逆張り投資法を志すのかについて、明確な根拠を明らかにしておかなければなりません。

簡単に言ってしまえば、打ち寄せる波の強弱にとらわれることなく、普段は近くの裏山で寝そべりながら潮の流れを観察し、必要なときだけ波打ち際に降りていくだけで良いという、ゆった りとした、日常生活にさほど影響を与えない投資法であり、かつ、資産形成という現在と未来、 現実と希望、こちら側と向こう側という、「らせん」階段を昇って行く者にとって、最も有効な方法 であるということです。

その根拠をいくつか、以下に列挙してみます。

(注)「らせん」というのは、3次元の立体が4次元の時間をその内部に包み込んだ、唯一の形といわれています。私たちのDNAも、らせん構造を取ることによって、数億年に及ぶ進化の歴史を内包できているのかもしれません。 卑近な例を言うなら、一本のお線香が、時間を取りこむことによって蚊取り線香になる、とい ったところでしょうか。

過去10回以上、主としてD証券の作成による1年ごとの割安バリュー株と成長グロース株のパフォーマンスの表を見たことがありますが、どの10年間を取り出しても大体割安6勝、成長2勝、ほぼ引き分け2勝という結果になっていました。 資料は手元にありませんので詳しくはかけませんが、記憶は実に鮮烈に残っています。

この原因は、恐らく成長株の方が夢があり材料があり業績もよく、正に時代の脚光を浴びている銘柄なので、多くの投資家が納得して買いやすいところにあると思います。そのために投資家がワーッと集まって、一気に仕上がってしまうのです。 あっという間に買うべき人はすべて買い終わってしまい、後はあることないことはやしたてて、 利食った人々にその売値よりも高い値段で買わせて回転売買、はやしたてた人々はころあい を見計らって飛び降りてしまいます。

そうなれば後は野となれ山となれ、オレ知らないよ〜で、株価は糸の切れた凧、石橋だと思 った橋は虹の吊り橋、「マサカ」という悲鳴と共にthe End. そういう具合になっているのです。(短くはしょったので、この説明はイマイチですね)

歴史というものは、バブルの最後の日本のように、今回のアメリカのように、一人勝ちしたなと思ったときに手痛いしっぺ返しを与えて、決して一人勝ちを許さないような仕組みになっているのです。成長株も同じことで、誰もが成長株だと認めた時点で一人勝ちできなくなるようになります。 この歴史の必然には、例外はありません。

(注)成長株に投資する場合、業績が前年より伸びているだけでは投資してはいけません。業績の「伸び率」が、常に前年を上回っていなければ成長株ではなくなります。 最も私たちにとっては、そんな事はどうでも良いことなのですが。

2、相場に惑う stray sheep(単複同形)が、一度はたどり着き卒業していく通過儀礼のような異色の株式研究家H氏が、逆張りのほうが有効であると、はっきり認めていること。 また氏は、「50年以上様々な投資家に接した中で、ナンピン買い下がりをしないで利益を上げつづけた投資家には、一人も会わなかった」とその著書で語っています。

3、しかしそんな1や2は、どうでも良いことかもしれません。 ズバリ、我らが〇〇先生が、ネコとイヌの例えを上げて、はっきりと逆張り投資の優位性を認 めていることに、すべてはつきます。 詳しくは、「マスターの株勝利メモ」No14~18を熟読してください。

(以下数行、○○先生、目をつぶって飛ばしてください)

このメモのポイントは、○○先生がかなり遠慮して書かれているところにあります。 先生ははっきりと逆張りの有効性を認めておられるのですが、同時に投資方法は人それぞ れに自由であり決して強制するものではないことも当然理解しておられますので、かなり控えめに書かれておられるのです。
それが先生の優しさなのですが、文面のそこかしこから先生の本音が覗かれるような気がするのは、ただ私一人の勝手な思いこみに過ぎないのでしょうか。(そうだよ、思い込みだよサマーズ三村の突っ込み)
最も私も、随分と遠慮したり謙遜したりして書いているのですが。(ほんとかよ、それでかよー 一再び三村)
「強くなければ生きていけない、優しくなければ生きているかいがない」(レイモンド・チャンドラー)

以上、逆張り投資法の優越性について書いてきました。 かくも有利な方法なのに、何故実行する人が少ないのでしょうか?

それは、安い株を安いときに買うということは、即ち不人気な株を不人気なときに買うということであり、証券会社は見向きもせず、新聞や雑誌には記事も載らず、好材料も見当たらず、つ まりその株を買うのはあなたただ一人であるということなのです。

私などは誰も買わないと思うと嬉しくてついほくそえんでしまうのですが、そうした経験の浅い方には、なかなか大変なことだと思います。

そこには信念が必要になります。しかし、昔から何事かに成功しようと考えたなら、必勝の信念と孤独に耐えられる精神は絶対に必要であり、その行為を通して人間的に鍛えられていくものなのではないでしょうか。

それでも、言うは易く行うは難し、たった一人安値に立ち向かっていくことは、なかなか大変なことだと思います。

そのときあなたを勇気付け、あなたの背中に息吹きかけて、あなたを一歩、踏み出させるものは何か?

それは(いずれ私が書く)ある特殊なやり方と、「歩く銀杏」で繰り返し書いてきた原則、そして 意外に思われるかもしれませんが、私にとっては実は言葉、ことば、コトバなのです。

透明感のある清らかで澄みきった、しかも力強い言葉。 心の裏側のやわらかなひだを打ち震わせ、勇気を与え、信念を抱かせ、私たちを軽やかな飛翔へと誘(いざな)ってくれることば。 男性的な論理性をその内部にはらみながらも、女性的な感受性でやさしく包み込まれたコトバ。

(3)でそれぞれの局面における私の口ずさむ言葉のいくつかを紹介させていただきますが、 次回は再び「貯畜」とカードに戻り、さらに掘り下げた話をしたいと思います。

貯畜だなんてウザッタイと思っていられる方にも、読んで頂けたらと思います。 たとえ今はウザッタイとしても、3年後にどう考えているか、それはあなた自身にもわからないことでしょうからね。(オレはいつからこんなに心優しい人間になってしまったのだろう、先が短 いのかな?)


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