相場そのままと相場離れ(8)

<引用ここから>

* 3年先の相場(前回のつづき)

チャップリンの言葉から続けます。 「人生に必要なのは、勇気と想像力、そしてsome money」 some money が想像力を生み出し、想像力が勇気を生み出すと、私は書きました。それはどういうことなのでしょうか?

相撲界に「3年先の稽古」、スポーツ界に「3年先の練習」という言葉があります。 つまり、今日する稽古や練習は3年先に効いてくる、ということです。 逆にいえば、今の強さは3年前の稽古の結果なのです。

私の個人的な感慨を聞いていただけるならば、人は常に3年先の自分をイメージしながら生きていくことによって、人の世の生きにくさが多少なりとも薄らぐような気がするのです。つまり、勇気が湧きやすくなる、ということです。そして貯蓄が増えていくにつれてゆとりが生まれ、ゆとりが自信を生み出し、3年後の自らの姿がより明確な、より光彩を放った姿としたイメージできるようになるのです。

ここで想像力こそ、人生の達人たちが秘密にしている最高の秘訣であることをしっかりと心に焼き付けてください。その代表は長島前監督なのですが、彼の話はいずれするとして、オリンピックで活躍する自分を想像しないで、オリンピックにいけた選手はいませんし、社長として自らの理想の会社をイメージしないで、会社を興し成功した人はいません。ジャンボ尾崎選手が、マスターズで敗退を繰り返していたとき、ふと漏らした言葉、 「野球で失敗してプロゴルファーになったとき、とにかく日本一になることだけを目指して必死の思いで頑張ってきた、その先があるなんて、考えもしなかった」。

「3年先のあなたのための貯蓄」さらに言うならば株式投資さえも私は「3年先の相場」を常にイメージナイズしながらおこなっています。勿論3年間ホールドするなどという、短絡的な思考はしないで下さい。ただ、今この銘柄を買い売りすることが、3年後の自分にとって果たしてプラスになる行動なのか?と考えることによって、奇妙に心が平静に保たれて、あせらずはしゃがず、はや買い早売りが避けられて、冷静な行動が取れるということです。

さてきりがないので、話をフローからストックに移していきましょう。

よく人は、人生をマラソンにたとえたりしますが、同じ走るのであれば私はむしろ駅伝にたとえ たいと思います。走るのは確かに同じあなたではあるのだけれど、1区と2区、3区ではまったく異なった選手 が走るように、それぞれの中心的な考え方、失敗や成功の要因が異なってくるのです。

株式投資の例でいえば、通常3~5年ごとに次の走者にたすきの受け渡しがおこなわれ、失敗の原因が異なってきます。 仮に最初の5年間の失敗の原因が、投資技術の未熟さや感情のコントロールの拙さにあったとするなら、それを乗り越えた次の5年間は別の要因、奢る気持ちとか慣れによる気のゆる みとかによって、引き起こされるということです。

相場などというものは最低限20年間くらい(2度の大相場をすべて潜り抜ける)経験して生き残って、始めて真理のかけらみたいなものに多少触れたかな、と思えるようなものなのです。最もどんな職人の世界でも、20年間の修行なんていうのは至極当たり前の話なのですがね。

〇〇先生の凄みは正にその点にあるのですが、秘密の小部屋とかいうオヤジはどこの馬の骨とも知れませんので、十分に注意しなければいけません。想像力の欠如とは、欠如を想像しないことである。

さて私は学生時代は別にすると、人生は次の年代の前後で各区間に分かれると考えています。(これは信じてもよい考えです) 27才、35才、42才、50才、60才、70才。

(注)「学生時代」懐かしい言葉ですね。
「重いかばんを抱えて 通ったあの道 秋の日の図書館のノートとインクのにおい 本棚に 目をやればあの頃読んだ小説」(ペギー葉山歌 そういえば先日の「白線流し」、酒井美紀が 最高に切なかった)
「青春」という概念は、明治時代になって学校制度の普及と共に生まれた概念です。それ以前は、幼年時代が終わればもう一人前として働かなければなりませんでした。学校制度の充実にしたがって「猶予の季節」としての「青春」が生まれ、その青春が一瞬のきらめきの如く運んできたのがプラトニックな「恋」「愛」だったのです。(「愛」という言葉は明治になってできた言葉で、江戸時代は「色恋」といい、もっと卑俗な生活感のある言葉でした)
最も近代国家が、国家権力を個人に押し付けるために作った施設が、刑務所と学校と病院 で、青春の光と影はすべてそこに起因し、この辺は非常に面白いところなのですが、私ひとり面白がってもいけないので止めておきましょう。

貯蓄や株が増えていくにつれて、私たちは生活費の基準をアメリカ人のように、毎月の収入から資産にその年代固有の係数をかけたものに、代えていかなければなりません。それは勿論、いつ失職してフローの収入が途絶えてしまうかもわからないからであり、資産を基準とした生活をすることによって、そうした不安からいささかなりとも逃れることができ、自由の許容度がはるかに大きくなってくるからです。

もっとも「不安を食べて生きていく」というのは、人間にとって最良の自己を高めていく方法なのですが、何といっても私たちは株式投資によって最高の不安を食べているわけですから、それ以外の不安はできるだけ減少させなければなりません。(ですから株式投資が人間を鍛える最良の場になるわけですが)

本来なら「資産の方程式」や「消費の三層構造」「アイデンティティのための貯蓄」などといった基礎知識を書く予定だったのですが、早くも誤解が生じており、お金に関することを書くほど割に合わない損な役回りはありませんので(この国ではそれだけで、卑しい人間のように思われ てしまうのです、ですから誰も本当のことを言わないのです)、ここで一応ピリオドを打ち、次はカードの話に進みます。

最も次回は再び、逆張り投資法になりますが。

<引用ここまで>

秘密の小部屋さんの「相場そのままと相場離れ」の連載はここで途切れます。もしかしたら、続きを私がコピーしていないだけかもしれません。

次からは「相場物語」の連載が始まります。



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