相場物語(6)

「相場物語3~5」はプリントアウトしていないので、「相場物語6」から続けます。 (3~5は相場と関係のない内容だったためプリントアウトしなかったか、もしくは初めからなかったのかもしれません。)

<引用ここから>

* 相場物語(6)

逆張り投資が、何故影の投資法なのでしょうか?

世の中には、なかなか社会と同調できない、あるいはあえて同調することを潔いとはしない一 群の人々がいます。
それはいつの時代にも何処の世界にも常に存在し、近代社会においては「内部の人間」という呼称のもと、人間存在のひび割れた心の深淵を探るものとして、ドストエフスキーの「地下生 活者の手記」を起点として、一連の系譜を描きつづけてきました。
そして、樺美智子はともかくとしても、岸上大作、奥浩平、高野悦子、皆、傷つきやすい魂を 抱えた、「内部の人間」だったのです。

陽の世界、日のあたる坂道の人々にどうしようもない違和感を抱き、社会的に不適応にならざる得ない人々。
例えば岸上大作は、おまえは学生運動とどう関わるのか、と意思表示を迫られ、されど答えられず、されど「掌の中にマッチすって」ひそやかに青春の出発を、自らに告げるのです。

こういうことを書くこと自体居たたまれないほど恥ずかしいのですが、私もまた、そういったたぐいの人間であったことを認めなければなりません。
69年当時の言葉で言えば、「ライ麦畑で捕まえられたくない」人生のありよう、とでもいってお きましょうか。

ドレマンが書いている逆張り投資の真髄なるものは、あまりにも大げさに過ぎ、私にとっては いともたやすいことであるように思われたのです。

「市場と調和して、、、 、、行動を共にしないことである」
これは樺美智子の「人知れず 微笑まん」ということではないか。

「低迷相場で株を買えば、、、、、、人と逆の意見を述べれば、、、、、、まったく他の人と逆の行動であるからだ」

海のこと 言いて上がりし 屋上で

心に「海」を持つものにとって、これこそ実にたやすい普通の行動ではありませんか。

「相場の動きを予想して、、、、、、現実にはなかなか難しい」
これまで証券マンは、何の節操もなく、ただ単に動き始めた銘柄だけを「買いです」と勧め、私は言われるままに買い売り喜び怒り、ただザワワザワワ、欲望と恐怖の狭間で目を回しているだけでした。
そして私は吐き捨てたのです。

「これまでの株式投資、何と荒涼とした、何と不毛な、そして何とばかばかしい株式投資か」

つまり逆張り投資とは、神様が「内部の人間」のために用意してくれた日のあたる坂道に立つ人々には難しく、私たち影を生きる人間たちには至極たやすい、影の投資法だったのです。
ドレマンは言います、「相場で成功しようとする人は、孤独に耐えて、冷酷であらねばならない」

私はベンチから立ちあがると、もはや完全に暮れ落ちた、すり鉢の底のように黒い公園を後にしました。

「独りであること
 未熟であること
 それが私の相場道の原点である」

そうした私の新しい決意を試すかのように、あざ笑うかのように、翌87年新春、急激な円高の招来と共に、相場は内需関連株の暴騰と輸出関連株の急落という、極端な二極相場の様相を呈し始めました。

私は何の技術も持たず、何の経験も知らず、ただひとつの概念のみを抱きしめながら、街の片隅をさまよう汚れたイヌのように、株式市場の渦の中にたった独り参加したのです。

「独りであること
 未熟であること
 それが私の相場道の原点である」
この言葉ひとつとそれに繋がることどもを、唯一の心の拠り所としながら。

しかし梅雨の合間にポッカリと開いた青空のように、故知らず、私の心には爽やかな風が吹きぬけていました。

<引用ここまで>

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