誰も書かなかった株式投資(弐)

<引用ここから>

* そしてそれから(2)

株式投資の本を読むに際して、注意しなければならないただ一つのこと、 それは、「書いてあることはすべてウソだ」、と思いながら読むことです。

ウソ、という言葉が不快ならば、すべて下らない、でも、全然役に立たない、と思いながらでも構いません。(ただし私の書いたものは、ウソではありません、最初から最後まで、すべてホ ラ、と思ってお読みください)

これはウソ、あれもウソ、と思って、どんどん読んでいけばいいのです。 理解不能な箇所があったら、それはあなたに責任があるのではなく、著者が、自らの知識をひけらかそうとして無理と難しく書いているのだ、と思って構いません。

こうして1000ページも読めば、さすがに1箇所2箇所、いくらなんでもこいつは本当のことで はないのか、と思われる箇所が出てくると思います。 そうしたらその場所に赤い線を引き、毎月末にでも、線を引いた部分をノートに書き写します。そのノートも月に最低1度は読み返して、ウソだなあと思われるようになったらバツをつけて おきます。(消してはいけません、何故だかは考えてください)

ノートに残された相場に関する様々な言葉の数々、それがあなたの出発点であり、あなたの歩んでいく道を指し示すナビゲーションとなるのです。

投資の本は、約半数が所謂「客寄せ本」であり、又様々な著者がそれぞれ勝手なことを書い ていますので、自らのうちに何らかの基準を持たないと、Aの本を読めばAの方へフラフラ、B を読めばBもいいなと思うというように、北風に揺れるミノムシの如く何の定見もなく、心さまよいやすいものなのです。

しかしかといって、誤った基準に固執するのもまた困りますので、そのために、「書いてあるこ と全部ウソ」という視点で読むのが、どなたにも通用する、最良の方法なのです。

そう思いながら読んでいますと、まずありきたりのホントのことがすべて除かれます。 相場は狐と狸によるバカシアイの世界ですから、ありきたりのホントのことほど、何の役にも 立たない知識はありません。

次に、「流行」と「不易」の区別がつきやすくなります。ここでいう「流行」とは、はやりの意ではなく、言葉の原義である、流れ行くもの、のことであり、すなわち、すぐに消え行くものと消えざるもの、移ろい行くものと変わらざるもの、の違いが 解ってくるようになります。 勿論あなたに必要なのは、消えざるものであり変わらざるものです。

更に、「すべてウソ」という考えは、「権威を疑う」という、相場をするものとしての最低必須条件が、次第に身についてくるようになります。

つまり「すべてウソ」と全部を一応否定した上で、それでも本の中からむくむくと立ち上がってくるものを拾うことで、本物と並(及びそれ以下)の物との区別がつけられるようになるのです。

読書経験の浅い方ほど、「本」なるものを意外とたやすく信じてしまうものです。この印刷物の溢れかえった世の中、本などの90%は、ウソか思いこみか偏見か、あるいは 単なる「流れ行くもの」、皆さんだって1ヶ月も経てばほとんど忘れて、何も残っていないことが 多いでしょう。

又意外と驚くのが、所謂学校秀才と呼ばれる、試験に強いエリート達が、「本」に弱く、書いて あることをすぐに信じてしまうことです。
まあ、それも無理からぬ所かもしれません。

教科書や参考書に書いてある3割は、ウソか流れ行くものですが、こと試験という事になると、そこに書いてあることを何の疑いもなく信じて、暗記して、そのまま答案用紙に書きこめば 合格、という学習を強いられてきたのですから、ある意味、当然かもしれません。

(私なんか、ピテカントロプスが最古の人類だと教えられたんですよ、今どこにいるのか、きっ と「たま」もそうだったんでしょうね。 うさぎ跳びや腹筋で腰を痛めさせられたり、運動中に水を飲んだら殴られて、肝炎ウイルスは 移されるし、進化論の馬の写真の何たるインチキ、今更恐竜は隕石で滅びたとか鳥になったとか、真空のエネルギーだなんていわれたって、それではえらそうにウソ教えてきた人々の誰か一人でも、あやっまったのですか。 マル経が絶対正しいと私の反論を許さなかった先生よ、おまけに今年は私が人に得々と語ってきた、秩父原人が捏造だったなんて、いいかげんにしてくれ、学界の権威なる人々よ)

とりわけ相場などというものは、私如きは無論のことですが、どんな人も誰一人、何もわかっていないのが現実です。何故なら、相場そのものが万華鏡のようにめくるめく変化をしますので、誰も皆、過去の類推からわかったようなふりをして語っているに過ぎなく、とりわけ明日のことなぞ、まさしく霧の中 のもや、お湯の中の水、プロもアマチュアも皆同じ川の流れにたゆたう心さびしい笹舟なのです。

しかしだからといって、そうした人々のすべてが皆さんと同じだとは、決して思わないで下さい。プロや権威や肩書きや経験や、まして学歴などとは一切関係なく、皆さんとはわずか異なる一部の人々がいます。

その人々とは「相場は解らない」ということを、骨の髄に沁み込むまでに「解っている」人々です。それはよく私たちが口にする、上っ面の軽い言いぐさとは異なり、存在の根っこの深いところにまで沈潜した、絶望と諦めからきているのです。その人々の持つ絶望と諦めは、あまりにも大きすぎ深すぎるが故に、かえって皆さんには見えないし解らないのですが、参考にすべきは、その絶望と諦めの底からわき上がってきた、かそやかなささやきであり、苦渋に満ちた叫び声なのです。

「すべてを解っている」ということは、実は「何も解っていない」ということであり、「何も解らな い」ということは、確かに、冬の日だまりにも似た頼りないものではあるのですが、ホンのチョッ ピリ、「何かが解った」ということなのです。

そうしたかそけき声のひとたりひとたりを、ドングリを拾い集めた幼き日々のように、あなたのノートに拾い集めていくのです。その時、魔法のカギとなるのが、「書いてあることすべてウソ」という視点なのです。 (ここで、証券会社や投資顧問なるものの自信に満ちたセールストークと、その結果に関する皆さんの記憶を、じっくりと確認してください)

さて、それではもう少し詳しく、株式投資本の読み方について、言及してみたいと思います。

まず、本屋で本を手にしたとき、あなたは後ろから読んでいかなければなりません。 それは、著者の略歴や初版の発行日を確かめるわけですが、それよりも遥かに大切な作業があります。
本の後ろを真っ先に見て、最初にしなければならないこと、それはいったい何でしょうか。

(以下次回)

<引用ここまで>



スポンサーリンク
スポンサーリンク




スポンサーリンク