誰も書かなかった株式投資 (四)

<引用ここから>

* そしてそれから(4)

基本的な知識の本ですが、これは本当の初心者に限って少し詳しめの本を1冊、さらっと、解らないところは飛ばすくらいの気持ちで読めば、それで充分だと思います。むしろ実際の売買を始めてから、時々パラパラと暇つぶしに、ちょうど辞書をひも解くような感 じで読んだ方が、思い当たる点が多々出てきて、はるかに有益でしょう。

野球をするのに、野球の本を読んだだけでは、決して上達しないことはどなたにも異論はないと思われます。 それは当然、そこに肉体的な動きが必要とされるからですが、相場の場合、肉体的な動作が 皆無ですので、誰でも簡単に売買ができると考えてしまいます。

しかし以前「相場物語」にも書きましたが、私は動きには、身体、頭、心の3種類があると考え ており、基本的にあらゆるスポーツでも趣味でも仕事でも、その3つを足した総量は同じではないのか、という仮説を抱いています。

例えばスポーツで言えば、ゴルフは野球より身体の動きが少ない分、特に心の動きが大きくなり、マラソンなら、野球より身体の動きが多い分、いったん走り始めてしまえばランナーズ・ハ イ、頭や心の占める割合は、比較的小さくなるのではないでしょうか。

相場の場合、身体の動きは限りなく0に近いので、その分だけ頭や、とりわけ心の動きが大きくなっているのです。ところが、身体の動きに比べ、心の動きははた目には一切見ることが叶いませんので、極く簡単なことのように思ってしまうところがあります。

しかし極めて少数の本物のプロなるものが、株を、疾(と)きこと風の如く買い、除(しず)かなること林の如く待ち、侵略火の如く売り、動かざること山の如く休むという時間の連続性の中で、どのように心を揺り動かしているか、あるいは逆に、一切心をかき乱されない不動の信念 でいるか、その心的エネルギーのうねりと方向性のあり様は、とてもアマチュアの皆さんの想像できる範疇ではありません。

相場が野球にたとえられることがほとんどなく、ゴルフにたとえられることが多いのは、ゴルフ がそれだけ、心理面に依拠するところが多いスポーツだからなのです。 (そこで当然、この「誰も書かなかった」シリーズでは、いずれ野球にたとえて解説してみたい と思います。 川上の赤バット大下の青バットに始まり、野村、長島、王、落合を経て、イチロー、松井、中村、古田に至る、「誰も書かなかった」驚くべき内容であることは保証しますが、果たしてそこま で辿りつけるかどうか、シリーズTHREEの予定ではいるのですが、ムムム)

仮に相場をスポーツにたとえるとするなら、私は、単独無寄港世界一周ヨットレースにたとえたいと思います。

時化にあったりマゼラン海峡を通過する時は忙しく立ち働きますが、それ以外は、たった一 人、瞬く星々を唯一の慰めとしながら、されど身体はヨットに横たえていながらも常に波間に茫々と漂い、ヨットの揺れはそのまま休まることなき心の動き、しかも板子一枚下は地獄。

まさしく相場は、単独無寄港世界一周ヨットレース、たとえどんなにリードしていたとしても、い ったん氷山にぶち当たってしまえば、それですべてはジ・エンド。

ですから、相場も野球やゴルフの身体の動きと同じく、ともかくも経験してみなければ解らない、心理面の複雑なゆらめきがあるのです。それは目に見えないが故に、かえって難しい部分を抱えこんでおり、何はともあれ経験するこ とによって初めて本に書いてあることを理解する、という事は無数にあるのです。

私やtrader21さんが、バーチャル投資に否定的なのも、買っても売っても損もしなければ利益も手に入らないようなゲームは、いくら成功したところで、恐怖と欲望をいかにコントロールできるか、という、相場の最も本質に迫る心理面を学ぶことは出来ないことを、理解しているからなのです。

否、そればかりか、バーチャルで上手く立ち回ることによって、かえって誤った自負心をふくらませ、間違った方向に進んでいってしまう例(とりわけ儲かる銘柄という青い鳥探しの落とし穴 に陥ってしまう、そして待っているのは散る散る(チルチル)お金、満ちる(ミチル)損が多いこ とを知っているからなのです。

あんなものは証券資本の子供だましの単なる客寄せ、近づかないこと、くわばらくわばら、相場師には値動きがすべて、あとはお遊び、そう、こんな書きこみも所詮は余技余技、ムムムムム(多すぎた)。
役人さんだって、予算の5億10億、他人のお金、ポンポンポンと簡単に配分して、いざ自分のお金となると、5万10万、ケチって渋ってなかなか払えない、そんなところですね。

さて、次にOの情報は知識ではない、ですが、結論を先に言ってしまえば、やれ日本経済の行く末だとか、様々なテーマに関する情報だとか、半導体の受注動向だとか、NYダウの成り行きだとか、そういった情報は、たとえいくら詳しくなったとしても、相場で利益を上げることとは何 の関係もない、利益を上げる知識ではない、ということです。 (だってそうでしょう、そんなので本当に儲かるものなら、誰だって必死に勉強しますがな) こうした情報は、通常「評論家的知識」といい、評論家やアナリストが相場の実践家ではなくその技量があまりに未熟であるように、こういった知識が豊富になればなるほど、実は相場の利益は上がりにくくなるのです。

こうした情報に詳しくなることが相場の勉強の重要な一つだ、と考えている人は驚くべき数に上っており、もしかしたらこの点が、人々のまず第一に陥ってしまう誤解の道行きなのかもしれません。

(もしかしたら、〇〇先生が、あえて株式評論家の肩書きを使わずに、株式アドバイザーを名乗っておられるのも、そうした評論家的知識は他人に任せて、あくまでも銘柄一筋、あくまでも 個人投資家の応援団に徹するという、意思表示なのかもしれません。
そこでシリーズTWOでは、〇〇先生をいかに効果的に活用するか、が、主要なテーマになります。ご期待下さい、そのためには不愉快な書きこみやメモをしないこと)

大体そんな情報は、新聞や雑誌をパラパラめくるだけで、あっという間に溢れるばかりの数量を手に入れることが出来、ものの小1時間も読めば誰だっていっぱしの口は利けるようになり、 とても勉強などといったおこがましいものではありません。ましてやこのネット社会では、いわずがもが、何ほどのことがあるでしょうか。

例えば去年いささか話題になった「都市再生」、皆さんもそれなりに情報を集められたと思いますが、それが今、どれほど必要な知識として残っているでしょうか。

そのあと仮に「新規公開株」に夢中になったとするなら、頭の中の「都市再生」が、そのまま 「新規公開株」に置き換わっただけではないのでしょうか。それが、情報は知識ではない、の、本当の意味合いなのです。

実はそうした情報は、恐らくあなたが興味を抱いた時点でかなりの部分、株価にはすでにおり込まれており、そのおり込まれている度合いを測ることこそが、必要とされる本物の知識になるのです。 そんな難しいことが果たして可能でしょうか。それはどういった過程を経て、可能となるのでしょうか。

幸いなことに皆さんは、その最良の事例を目にしています。 それは、まるでパイプの煙がたゆたってくるような名前をお持ちの〇〇〇さんの、素晴 らしい書きこみなのです。

<引用ここまで>

次は「Bさんへの手紙」、秘密の小部屋さんがあの有名な相場格言を使って、Bさんにアドバイスをする内容です。



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