君微笑めば君に散る(終)前半

この記事は2004/05/21に書かれたものです。

「君微笑めば 君に散る(終)」も長文のため前半と後半に分けます。

<引用ここから>

○ 永き日の地球儀傾きて回る  オキシウル泡立つ傷に春の暮

技術と同時に、貴方が高めなければならない「心境」、 そのための教科書も、相場界にはたくさん用意されています。

〇 象がふと象をやめたくなる秋暮   屋根裏にカフカを棲ます家の秋

ざっと思い浮かべただけでも私には7つうかびますが、最も代表的なものが、trader21さんが、この前書か れていたようないわゆる「格言」と呼ばれるものです。

彼の場合、あまり人口に膾炙していないものもはいっていまして、その出所は「三猿金秘録」を代表とする、江戸時代から明治時代にかけて書かれた、相場の秘伝書とでもいうべき、何冊かの本であり、それが 2番目になります。 (なお、本間宗久の本は、何人かの(私のような名を欲しない)人間によって書き継がれてきたもので、宗 久そのものは実在のモデルはいますが、その行跡に関してはあくまでも伝説上の虚構ですので、念のため。つまらぬ解説本を鵜呑みにしない様に)

〇 図書室の中也と別れ卒業す   月光に母よ綾取りはまだ途中

そこでまず格言のとらえ方について、誰も書けない解説をしてみましょう。

まず8割は、愚にもつかないものですから、捨てて忘れます。捨て方は、あたかも何かを言っているようで、その実何も言っていないものをまず捨てます。 もっとわかり易く言えば、技術を生み出さない格言はマヤカシである、ということです。

〇 鷹の眼に吾は如何なる草木たる   大花野どこが入口どこが出口

「もうはまだなり まだはもうなり」と「3割高下につけ」と、どちらを捨てますか。

前者は、結果に対する単なる慰めでしかなく、この格言は何者をも生み出しません。これは証券会社の社員が、株を買わせよう、売らせようとするときに、実によく多用する格言で、もうはまだなりですよ、などといってよく客を煽ります。 自分を慰めるためにひとりごちるのは勝手にシンドバットですが、この格言をよく使う人がいたら、間違い なくニセモノです。

〇 春風の他は誰とも逢はぬ町   裏切られはじめて見えるすみれ草

どのような状態を、もう、といい、それがどう変化したら、まだ、になるのか、何の基準もヒントもなく、要するに相場を他人に「やらせる」人間の発する、愚かな戯言でしかありません。 非常に危険なのは、株を売却した後かなり上昇した場合、しまった、もうはまだだった、などとと思って次こそは、と意気込むと、間違いなく次は、まだはもうなりになって、失敗するという、正に無い方がよい格言なのです。(実はもっと複雑微妙な心の綾があるのですが、まさかそれだけで何枚も終わってしまうので、ヤメーヤメ)

〇 哲人も奇人も迷ふ梅林   冬星座賢治の汽車の窓明り

ところが後者の「3割高下につけ」は、通常、3割の変化というものが人の心に質的な変化をもたらすという、経験心理学に基づいた格言です。ですからこの格言からは、底値から、また高値から3割近く高下したら、ひとまずは、反対売買を検討してみよう、という戦略が生まれてきます。その戦略の当否はともかくとして、何よりも長い経験に裏打ちされた、一つの相場の考え方ではあるわけ です。こういった格言を、選んでいくわけです。

勿論、「買うべし、売るべし、休むべし」などといった、ウソ丸出しの格言は、さっさと捨てることです。

<引用ここまで>

(つづく)

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