相場は「自己責任」ではない(1)

この記事は 2004/10/18に書かれたものです。

<引用ここから>

新しい方が増えたようなので、少し書いてみましょうか。

このような事を書くから嫌われているのは解っているのですが、私などは、投稿の5行10行も読めば、その人の投資の実力はまず判断できます。無理して見栄張っているなあ、とか、都合の良い部分だけ書いているなあ、といった投稿が多いので、投稿の95%、どこかに誇張や歪曲や意図が潜んでいます。

というわけで、まあインターネットの世界と同じく、相場界もまたそんな世界なのだと考えて間違いありません。 秋風が顔を撫ぜて吹きすぎていく、といった程度に思って読む事です。 斯く言う私の書くものも、決して例外ではあり得ませんのでくれぐれもご用心の程を。

さて、少し投資に慣れてきた方々が金科玉条のように繰り返すのが、投資は「自己責任」なる言葉です。 先日の騒ぎの中でも、随分とこの言葉が繰り返されていました。

私などは「自己責任」等ということは考えたことすらありませんでしたので、掲示板におけるこの言葉の連呼には、実際かなりの違和感を覚えています。

そもそも、「自己責任」とは、推測するに、「自らの意思」で決断し投資する以上、その得失に関 わる責任も自らがすべて負うべきである、という発想に基づいているのだと思われます。 もしそうだとしたなら、株式投資は決して「自己責任」で行うものではありません。

「自己責任」で投資している以上、即ち、「自己責任」と何の疑いも抱かずに連呼しつづけている限り、恐らく、あなたの株式投資は、常に同じ所をぐるぐる回転し、あたら時間だけが空しく過ぎ去っていくだけの、徒労に終わることになってしまうかもしれません。

敢えて、繰り返しましょう。 株式投資は、決して「自己責任」ではありません。 何故なら、「自らの意思」で決断し、投資するものではないからです。

株価の予測は不可能である、とならんで、「自らの意思」で投資するのではない、と気がついたとき、もしかしたら人は株式投資の新しい扉をギギギギと、開けるのかも知れません。はて、その時そこに広がっているのは、春野か花野か、はたまた枯野なのか。何はともあれ、まず扉を開けないことには、ね。

ここ過ぎてひとつ五銭のサザエかな

「夢見るギタリスト」さん、愛読させて頂いております。 でも私だって、いつまでもキーボード苦手ではありませんよ。

I am not what I was.

私は「夢見るピアニスト」ですから、ブラインドタッチは案外得意なんです。

(以下次回)

<引用ここまで>


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