相場の思い出(続き)

あまりの出来事にどうすることもできなかった。常識的に考えれば損切りして、それ以上の損失を出さないようにするというのが得策だとはわかっていた。しかし、反転するだろうという「希望」が邪魔をしてそれをさせなかった。

しかし私の願いが天に通じたのか、あるころから株価は反転し含み損が徐々に減っていった。株価の流れが下げから上昇に変わったのだ。

これで一安心と思っていたが、それは単なる下降の一時的な反発でしかなかった。上昇はストップし更なる下げがはじまった。

含み損はすでに20000円になっていた。もうここまで来るとこの不愉快な現実のことは忘れようと株価を見ないようにしていた。その後もどんどん含み損は増えているのだが・・・・。

株をホルードしているのも忘れかけたころ、株価はいつの間にか上昇に転じていた。買った株価115円に近づいてきたのだ。

これ幸いとたまらず手仕舞ってしまった。

何とか含み損を2000円程度(手数料は除く)に抑えることができたと胸をなでおろしていたのもつかの間、なんてことだろう、今度は株価はどんどん上昇していくではないか。

何で売ってしまったのだろうと後悔した。

本来自分が得られるはずのお金が手に入らないのだ。やはり損をした気分になり、株価が下げた時同様にこの不愉快な現実のことは忘れようと株価を見ないようにしていた。

株価は2001年の5月には244円をつけた。もし売らなければ115円で買った株を244円で売れたかも知れないのだ。129000円もの利益を逃してしまったことになる。悔しくて仕方なかった。

多くの方がだいたい似たような経験をされたのではないだろうか?株トレードとは本当に不愉快なゲームである。

その後も同じような経験を何度も繰り返した。ときにはこの不愉快なゲームを辞めようと思ったこともあったが、辞めることはできなかった。

そんなことを繰り返しながら少しずつわかってきたことがある。

相場で最も重要なことは自分でコントロールできることに全精力をつぎ込み、コントロールできないものは潔く諦めること

自分でコントロールできることとは、ストップロスを入れて損失額を限定させること。コントロールできないこととは、未来の株価を当てることだ。

そして自らの打ち立てた売買ルールには絶対に従うことなのだと。

私は株価の先を当てよう当てようと懸命に努力してきた。損失を出すのは私の勉強が足りないからだ。勉強すれば損失はなくなるはずだと。

しかしこれは多くの人が陥る間違いだった。

このへんになってきて初めて、相場で利益を上げるのに、何が大切かと気づくようになった。

それは、常に中立な立場で現状を認識し、それに合致した玉を建てることだ。

訓練されていない人は自分の見たいものしか見ない。

精神に不快を感じるものは見ないよう、考えないようにするのである。私がトーヨーカネツ(6369)でやったように。

相場で勝つには、心を中立の立場に立て、この不快な現実を直視しなければならない。そしてその時にできる最良の方法を実行していく。

言うは易し、行うは難しだが・・・。

(おしまい)

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