相場物語(9)

相場物語(8)はプリントアウトしていないので、相場物語9から綴ります。

<引用ここから>

* 相場物語(9)

(困りました、たいした答えではありません、ごめんなさい。ただ、私を担当した証券マンは皆、気持ちのよい青年ばかりで、不愉快な思いをしたのは後にも先にもこのただ1度だけでしたので、妙に記憶に残っているのです。残念なのは、そんな爽やかな青年たちが、12年に及ぶこの大下降相場の中で心燃え尽きて、証券界を離 れざるを得なくなったことです。 今だ忘れずに遠く離れた土地から年賀状をくれる人間が、2人います)

「東京電力がすごいんですが、買いませんか?」
「悪いけど、オレはそういった値上がりしている株には興味がないんだ」
その時、その若者は電話の向こう側から信じがたい返答をよこしたのです。
「あのね、わかったようなロ、利かないで下さいよ」

その針を含んだ語調に、瞬間、私の中で崩れ始めようとしているものがありました。 しかし、公園の記憶、公園の決意、崩れかかったもの必死の思いで支えながら、ここで引き下がるわけには どうしてもいきませんでした。

溢れ出た言葉は激烈なものでしたが、口調はあくまでも冷静に、1語1語ゆっくりと噛み締めるように言っていました。
「ふざけたことを言うんじゃあない。 お前みたいな若造が、一体何をどれだけわかっているというんだ。 たかが上から言われたことを客に口移ししているだけの、ヒヨッ子じゃあねえか。暴落の恐さも知らない小僧が、はしゃぎまわって、幼稚園の運動会してやがって、、、、、、」

私は恐らく、その証券マンに言っていたというよりも、これ如きでもろくも崩れかかってしまう自らの心のもろさに向かって、叫んでいたのかもしれません。
相手は驚いたように沈黙し、あわてて侘びを言うその声に重ねるように、私は預託してある株券すべての返還を申し出ました。

東京電力、三菱地所、NTT、それらは何と光り輝く銘柄であることでしょうか。 彼としても別段悪気があって勧めているわけではないのです。 買えば、明日明後日1週間後、1割2割そこそこの小遣い稼ぎは出来るでしょう。しかしそんな小遣い稼ぎをしたところで、それが今日の私ではない3年後の私に、どれだけの意味合いを付与することができるというのでしょうか。ここで踏みとどまらなければ、私がそれまでの私にまた戻ってしまうことは、間違いありませんでした。

1週間後、私は株券を受け取り、その足でもう一つ別の、少しだけ取引をしていた小さな証券会社に行き、株券を預けると同時に、日本電気(現NEC)と富士通と松通工の買い注文を出しました。現金の残りはわずか、2800円しかありませんでした。

その日、買い注文を出した後、私は何とも形容しがたい不快感に襲われました。 オレはどこまでひねくれているんだ、東電を買って、NTTを買って家族と一緒に幸せな食卓を囲めばいいで はないか、それがよりによって日本電気だぜ。
ふとドレマンの言葉に対する疑念が、桜花にかかる群雲のように湧きあがってきました。 その疑念を振り払うように、私は自動車のハンドルを家とは正反対の方向に向けると、山の方へ川の方へ、 あてどなく車を飛ばしました。

春に背いて 散る花びらを
背に受け行こう 一人旅
溢れる涙 流しておくれ
帰るあてない 一人旅(西郷輝彦歌)

気持ちが少し落ち着くと、ふと「心技体」という言葉が目の前にちらついてきました。お金を稼ぐには、「心」を使う、「技術」を使う、「体」を使う、この3つがあるのではないのか、と思ったのです。

一番効率が悪いのは体を使うことであり、いわゆる肉体労働がそれにあたります。次が技術を使うことで、主として頭脳労働ではありますが、自分の手の届く範囲までしか事業を拡大することは出来ません。 最も効率がよいのが心を使うことで、気配り豊かなリーダーシップをもって人を動かし、事業を拡大することが出来ます。

とするなら、株式投資における「心技体」とは、一体どのような事なのだろうか? と考えたのです。

「体」を使う株式投資、「技術」を使う株式投資の意味は、すぐにわかりました。
「体」を使うとは、一日中証券会社に張りついて、クイックを叩きながら売り買いをする日計り商い、証券会社で年中見かけるワイワイガヤガヤの人々のことでしょう。大声で証券マンを名指しし注文を出す彼らの声の大きさが、実は抜きがたい不安を裏側に潜めているものであることはわかっていました。
3年もすればメンバーはすべて入れ替わってしまいます。(当時はデイトレなどという言葉もなく、4%のサヤを抜かなければなりませんでしたので、事実上不可能でした)

「技術」を使う株式投資の意味は、あまりにも明白でした。 罫線を読み、指数を駆使し、されど株式投資における技術などというものは、私が初心の時に考えていたほど複雑なものではなかったのです。
例えば「英語技術」を習得する、何百分の一もないのではないでしょうか。似たような技術の数の多さと、誰も教えてくれるものがいないことにより間違った自己流に陥ってしまうことと、完璧な技術が存在しないことによる完璧を求め様として迷いこんでしまう袋小路と、簡単なことをあたかも難しいことであるかのように語る後講釈の人々と。

その点に気づきさえしたならば、「技術」そのものにたいした意味合いがあるわけではなく、「技術」を実行するときの心理面における平衡感覚の方が、はるかに重要なのでした。

では、最も効率のよい、「心」を使う株式投資とは、一体どのようなことを言うのでしょうか?

<引用ここまで>


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