相場物語 (10)

<引用ここから>

相場物語 (10)

それでは、最も効率がよいと思われる「心を使う」とは、株式投資においてはどんなことを意味するのでしょうか?

勿論、様々なことが考えられると思います。 ただその時、私が考えたのは、自らのその時の心の状態、つまり「嫌な思いをする」、ちょうど今、あえて自宅から反対方向のうすら人寂しい山の方向へ車を走らせているように、群集に背を向けて自ら「嫌な思いをする」ことを選択する行為ではないのか、と思ったのです。

映画を見るにしろゴルフをするにしろディナーを満喫するにしろ、楽しい思いをするには、お金を支払わなければなりません。そして私が嫌で嫌で仕方のない日常の仕事、その嫌な仕事を我慢してすれば、何がしかのお金を手に入れることが出来ます。

もしかしたら、と私は思ったのです。 もしかしたら株式投資も、それと同じ仕組みになっているのではないのか、と。

値上がりの期待に、ワクワクドキドキソワソワ、弾む心シャボン玉のように膨らませて株を買 った場合、結局その楽しみに対する支払いを求められ(つまり損失を出し)、嫌で嫌で買いたくもない株を値下がり覚悟で心に逆らいあえて買ったなら、人々の捨てるものを拾うその行為 に、もしかしたら相場の神様が微笑んでくれるのではないのか、と。

しかし同時に、私は「嫌な思いをする」ことの、考えるほど簡単ではないことも痛く実感していました。 それは「嫌な思い」は一度では終わらない、継続的に降りかかってくるからです。

例えば、含み損が生じる膨らむガマンする、場合によっては損切りを余儀なくされて、敗北感と共に一時的な撤退をしなければならなくなる、といったことです。 それらは、信念を揺さぶり、希望を奪い去り、待つことに対する疑念を生じさせます。 車のアクセルを踏みこみながら、私が感じていた思い、それは「世界が遠ざかっていく」感覚 でした。 ただでさえ私の生きている場所は人々と多少の距離があり、また相場そのものも世間とは遊 離した、どうしようもなく孤独な部分を強要してくるのに加えて、更にその相場のざわめきにさえ 背を向けるたったひとりの個人的な行為。

「世界が遠ざかっていく」感覚は、私に我が家の飼い猫が駆け足で近づいてくる姿を連想させました。 我が家の飼い猫の名前は、そう「悲しみ」。 「悲しみ」が駆け足でやってくる。

若いという字は苦しい字に似てるわ(アン真理子歌) (ついでにおふざけ妻という字は毒の字に似てるわ)

だからこそ、と、私は奇妙な確信を抱いたのです。 だからこそ、この戦略は必ずや成功するに違いない、と。

それは相場の経験からというよりも、「内部の人間」として生きてきた私の、人生の経験からにじみでた、奇妙な確信でした。 同じ方向に忙しげに歩いていく人々に顔をしかめられながら、地べたにぼんやり座っている者のささやかな矜持、それゆえの確信。

しかし同時に私の中に、もうひとつ別の映像がユラユラと浮かび上がってきました。テレビなどでよく見かける「仕事が楽しくて仕方がない」「仕事は趣味みたいなものだから、いくら働いても少しも苦にならない」と語る、満足そうな人々の映像です。それはどんなにうらやましく思えたことでしょうか。

当時私は、仕事が嫌で嫌で仕方がありませんでした。 仕事が本当に嫌だということがどんなことなのか、皆さんは理解されていられるでしょうか。 6日働き、日暮れの山道をやっとの思いで辿りつくようにして、日曜日を迎えます。 その楽しいはずの日曜日、私は朝から次の1週間の仕事を考えて、憂鬱になってしまうのです。

そのうちに、私はどんなにつまらなくても「日曜洋画劇場」を見ることにし、見終える夜11時までは翌日のことは考えないように努力して6ヵ月、やっとその愚かしき呪縛から、逃れることができました。

それならば、と私は理解したのです。 今と同じ逆張り投資のやり方でありながら、何とか「嫌な思い」をしないで済む方法、楽しんでやれるとまでは望みませんが、もっと心静やかな緩やかな逆張り投資の方法を考えるのが、私の次の課題になるな、と。

車のヘッドライトに浮かび上がる、すれ違うこともままならない狭い林道の両側に連なる黒い樹影をゆっくりと確かめながら、何故か私は快い錯覚に浸っていました。

ひとつ解ることが、新たなる未知を呼びこみ、その不可能に再び挑戦してゆく、何とも爽快な感覚。それによってたとえ数センチであったとしても、「世界が近づいてくる」ように思われる快い錯覚。

帰ったらまず、猫の名前を変えなければ。 私はバックミラーに自分の顔を映しだし、魅力的に見えるように微笑みながら、指で髪をそっと梳いたのでした。

そしてまさしくその翌日から、私の買った輸出関連株が、反騰を開始したのです。 私の心の公園に、朝日がまぶしく差しこみました。 公園の真ん中に立てた棒に長々と影が写し出されるように、私はすべての株の仕込みを終えていました。

いや、ダメですね、今回はひどい。一度止めると決めたもの、メモ数通頂き、再び書いては見ましたが、どうにも気分が乗りませ ん。気まぐれで、移り気で、怠け者の小部屋のオヤジ、どうしようもないですね。 代わりに新連載を始めますので、しばらく中断させてください。 ポツリポツリと雨だれの如く、個人的に少し書き溜めてから、再開させていただきます。 お前のなんてもう読みたくない?まあそう言わないで下さい。 相場の儲けはガマン料、相場の儲けは辛抱料。 くだらなさ耐えて読んでいただければ、ガマンと辛抱が身につくかもしれませんので。 そんな、アホな。

クイズの答え、主人公は「相場」そのものです。 この物語は、「相場」という魔物が、私なる愚かな男を、幸福の青空に持ち上げたり地上に叩き落したりして嘲弄する、日本で最初の、「相場」そのものを主人公にした物語のダイジェスト版 (になる予定のもの)なのです。 だから題名が、「相場物語」なのです。

<引用ここまで>

次からは「誰も書かなかった株式投資」が始まります。


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