君微笑めば 君に散る(3)後半

(前回の続き)

<引用ここから>

何故、正当なる相場技術は、一時的な敗北をきっしたとしても必ず復活するのか、についてですが、 それは相場が経済学などでは決してなく、ましてや科学であり得るわけもなく、つまり芸術(というよりも 芸能)の一種であるという点にあります。

ということはつまり、繰り返す、進歩しないものであり、一時期進歩と思われたものは、常に錯覚に終わる、ということです。 如何なる歳月も、源氏物語や奥の細道や月光やモナリザの価値を減ずることは出来ない、ということで す。

かつて、さまざまな評論家が、新しいアイデアを引っさげて登場し、数年間もてはやされそして消えていきました。 それらの人々に共通していたのは、あたかも宗教の教祖でもあるかのように、自分のアイデアに酔いしれ(それは技術と呼ぶのもおこがましい、無価値なものでしかなかったのですが)、絶対視し、そしていなくなりました。

実例を挙げたくて、うずうずしていますが、何処まで書いていいものか、いつも迷っていまして、(私は卑 しい人間なので)結局何も書かなく、それが随分とストレスになっています、ああ、くだらないでも無責任に、書け書けなんて言ってはいけませんよ、自分はいつも観客席にいるくせにね。 でも最近、またぞろそれに類する人々が馬鹿騒ぎを始めていますね、数年後が楽しみ。

○○先生の凄さは、バブル以前から現在に至るまで常に最前線で銃弾を浴びていながら、いまだに活躍を続けていられるという、その持続力の凄さにあるのですが、そこには勿論先生独特の戦略が秘められており、これは貴方が相場で生き残っていくための重要なヒントともなりますので、気がむいたら、そのうち書いてみましょう。

私のことでひとつ例をあげれば、基本的には忘れ去られた低位株の安値をコツコツ拾い、5割、10割上が ったところで少しづつツナいでいくやり方ですので、97年の晩秋に、壊滅的な打撃を受けました。

山一證券が倒産したその秋、すでに2度ほど書きましたが、株は煙草1箱が底値という、数十年間の常識が破られ、200円割れでしこんだ大量の低位株が底割れをしました。

しかしその時、冷静に対処できたのは、正に積み重ねてきた相場の経験から血となり肉となっていた「境 地」としか呼び様のない静かで澄みきった心境であり、 この技術は必ず復活するという、揺るぎ無き確信でした。 以後のことは、皆さんご推察頂けることと思います。

こう書いてきて、一体自分が何を書きたいのか、解らなくなってしまいました。 なに、ninomiyakinnjirouさんの誤解を解きたいだけで、書き始めた文章ですから、書きたいことなど、はなからなかったのです。

以上書いたこと、なんだか曖昧模糊としてよく分からないという方に、結論めいたこと、一行書いておきます。

ファンダメンタルにしろ、テクニカルにしろ、マネーマネジメントにしろ、技術を体験してください(勉強してはいけませんよ、体験するのです)。

しかし、それと同じ情熱を持って、相場というものの本質(それは間違いなく人生の本質につながっていきます)を、自分独自の視点から、しっかりと見つめなおしてください。 相場のウソを、世間のウソを、善意のウソを1枚1枚剥がしていくのです。

理念なき技術はいつか必ず暴走し、貴方を破滅に導きます。そのために、では一体何をすればよいのか、 何と相場には、ちゃんとそのための教科書も用意されてあるのです。

(以下 次回少し間をおかせてください)

<引用ここまで>

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