歩く銀杏(11) 荘子編 最終回 後編

歩く銀杏(11) 荘子編 最終回の続きだ。

<引用ここから>

5段階「来」論理的とはまったく別の力、今風に言えはインスピレーションのようなものが現われてくる状態

例えば、相場とはまったく関係ない本のホンの一行から、相場に関する重大なヒントが得られたり、場中の値動きを眺めていて、感覚的に、あ、終わりだなと感じ、その感じが的確に当たる段階。
よく、コツンという音がした、などといいますが、それなどもこの段階にいれてよいのかもし れません。
この辺にくると、なかなか言葉では人に伝えきれない感じ、解ってもらえないあきらめに似た気持ちを、抱くようになるかもしれません。

6段階「鬼入」さらにインスピレーションが研ぎ澄まされ、ある種霊感のようなものが湧くのを感じる状態

中国では「霊」という言葉は余り使わず、通常「鬼」といいます。日本のオニとは若干イメージが異なりますが、日本でも例えば死ぬことを「鬼籍に入る」などというのと同じです。
「魂」という漢字は、その鬼と、雲の原字である気が合わさった字で、雲も霊的なものの目に見える象徴でした。
ここまでになると、もっとはるか下の段階でウロウロしている私などのとても想像の及ばないところですが、(もし間違っていたらとんでもないことでどうしようかと思ってしまいますが) 〇〇先生が、数字に発しながらもそれに捕らわれずに、ある種の自らの感覚(カン)を信頼して大切にしていらっしゃるように思われるところなど、これに近いのかもしれません。

7段階「天成」論理に発して、霊感が生じ、それを論理で検証する過程で更なる霊感が発生する段階

ここで第二次の完成に到達します。
「天に口なし、人をして言わしむ」
先生が語るのを読んでいますと、時折り、先生が言っているのではなくて、相場が先生のロを持って語らしめているのではないかと、思わざるを得ないときがあります。
この書きこみのT氏の言なども、本人は勝手にしゃべっているつもりでありながら、その実、 相場そのものがT氏をして語っているのではないかと思われ、ハッとしてドキッとするときがままあります。
何はともあれ、私にはよくわからない領域に入っていますが、さらにその上がありますので、もはや解説は無力になります。

8段階「不知死、不知生」 死を知らず、生を知らずという状態

「荘子」の究極の思想である、無為自然、大小一概、可不可一貫、死生一条という事だと思われます。
あえて相場で言えば、上げ下げー概、損得一貫、哀歓一条といったところでしょうか。
上げも下げも価格の変動という同じ一つの概念、損すれば何かを得、得すれば何かを失うのは人生を貫く当然の法則、哀しみも歓びも共に一条(ひとすじの道端に咲く同じすみれぐさ。
山路来て なにやらゆかし すみれ草(芭蕉)
一言あえて付け加えるならば、to do(すること)よりも to be (あること)が人を決めるということ。
相場の森をウロウロ動き回れば、疲れ傷つきお腹もすく。
人は、「ただ在る」ことによって宇宙のエネルギーを充電し、行動することによって、そのエネルギーを放出します。
to do 全盛の世の中で、せめてひととき to be の時間を持って宇宙の深遠な叡智と触れ合う瞬間を。
私は若き者たちによく言います、トドよ、飛べ、と。(おわかりかな)

9段階「大妙」天(相場)の流れの運行に、わが身をたゆたらせて、わが身が蝶か、蝶がわが身か、まさしく「胡蝶の夢」、大いにして神妙なり。

前回それとなく予告した通り、少し飽きてきましたので(作者読者ともに)、今回を持って「歩く銀杏」終了させていただきます。

ご愛読、ありがとうございました。

今後は、「相場徒然草」として、コラム的なものを気が向いたときに短く書かせていただけたらと思います。(今、ワードで5枚書いて印刷し、それを見ながら4時間もかけて打っているので、書くのは簡単なのですが打つのが大変なのです。よろしくご理解下さい。)

春になったらそれは花が咲いたらということだ(立原道造)

多分その頃、予想外ににぎやかな株式投資の花が咲いていると思われるのですが。

秋は買いから入れ、春は売りから入れ。

<引用ここまで>

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