「仕事のない生活」への準備

ブログタイトルを「アラフィフおやじのセミ・リタイヤ日記」から「アラフィフおやじのリタイヤ準備日記」に替えた。

セミ・リタイヤ生活が終わったので、いつまでも「セミ・リタイヤ」を付けておくわけにもいかないからだ。

これから書く内容も、主にカメラ、海外旅行 、株トレードのことになると思われる。

さて、私たちはたくさんの時間をかけて「仕事の世界」に入るための準備をしてきた。

小中高で12年、大学で4年。なんと私たちは12年~16年もかけて仕事の世界の準備をしてきたのだ。さらに数年という人もいる。

しかしながら「仕事のない世界」のための準備をしている人は、どれほどいるだろうか?

60歳で会社を辞めたからといって、死ぬまで続く自由時間の生活にすぐに順応できるわけではない。なぜなら普通のサラリーマンは40年近くも仕事の世界に浸っているのだから。

仕事のない生活に馴染むためには、やはり同じくらいの準備期間が必要ではないかと思うのだ。頭が固い分、それ以上かもしれない。

60 - 12 = 48歳

60 - 16 = 44歳

単純に計算して早い人で44歳から準備を始めないといけないこととなる。

多くの人が60歳で退職したものの、「死ぬまで続く自由時間の生活」に耐えられず、今までの経験を活かした仕事を探したり、新たな仕事につくべく資格をとったり、趣味を探したりしている。

会社以外に人との繋がりを作ってこなかった男性は、自由に使えるお金も時間もありながら引きこもりになってしまいやすいようだ。

私の父親がそうだったように。

お金と自由な時間が豊富にあるにもかかわらず、テレビを見て、お酒を飲み、毎日を不機嫌そうに過ごしていた父の姿を見ていると、父にとって自由時間は祝福ではなく、呪いではないかと思えてならなかった。

そんな父の姿を見て、体が自由に動き、精神的に若い時に準備をしなければならないと思った。

そう考えると一時的に失業していたセミ・リタイヤ期間は貴重だった。

普通のサラリーマンが定年してから経験する、自由時間の恐ろしさを先駆けて経験することができたからだ。

セミ・リタイヤ期間を活用して、「死ぬまで続く自由時間」を上手く扱うことができれば、将来リタイヤした時に自信をもって対処することができるだろう。

無知な人にとっては、老後は冬。多くを学んだ人にとっては、老後は収穫の季節。

(ユダヤのことわざ)

このユダヤのことわざにあるように、老後について何も学んでこなかった人にとっては、自由時間は重く苦しいものに感じるだろう。

逆に、老後について多くを学んだ人にとっては、やりたいことを何でもできる、喜びに満ちたものになるだろう。

若い時にもっと学んでおけばよかったと、後悔しても遅い。時間はお金で買えないのだから。

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