相場そのままと相場離れ(2)

<引用ここから>

* 変化はあきらめたときやって来る(前回の続き)

そんな証券界にも、すばらしい(?)能力があります。

それは、その時々の人々の抱いている気持ち、雰囲気、ムードといったものを、実に的確に読み取る能力です。

新しい投資信託の宣伝を見るたびに、その時の投資家の思いにマッチしたものをうまく作るなあと、思わず感じ入ってしまいます。

結果として最悪だった、ソニーやドコモのリンク債も日本株戦略ファンドも、今となっては何とでも言えますが、その瞬間の人々を支配したある種の共通な熱気を、見事に体現したものでした。

今年の夏に、どんなに下がっても9割の資金は保証する、という株式投信の宣伝を見たときには、さすがと、思わず拍手しかかってしまいました。

私たちの弱気な思いにすらつけこんで、その心のひだを震わせ、何とか商売に結びつけようとする貪欲さには、十分な注意を払わなければなりません。

組み入れ5割以上の株式投信で9割の資金を保証した場合、当然売りヘッジをかけるのでしょうが(仕組みはよく分かりませんが絶対に言えることは)、下げに強いということは、上げには弱く、いったん上げ相場になったときのパフォーマンスの悪さは容易に想像できるのですが、勿論宣伝ではそんな事には触れずに、ただひたすら9割保証を大きく強調していました。

実は相場の世界というのは、感情が優先する情念の世界であり、初めて足を踏み入れた人は、マスコミで、ファンダメンタルやテクニカルな指標を駆使して冷静に解説する証券関係者の姿勢に、思わず論理性に満ちた世界だと誤解してしまうのですが、その内実は、暴走する自らの感情を、材料や指数といった論理性で、懸命に後講釈しているに過ぎないのです。

投資家自体も感性豊かな人々が多いのですが、その内部に息づく人々はなおのことその傾 向が強く、だからこそ人々の心に浮き沈みするうたかたの如き流行(はや)り廃れには、実に敏感に反応できるのです。

証券会社の流す資料は株で儲けるための資料ではなく、株を買わせるために人々の心理を推しはかり人々を納得させることを目的に作成された資料なのです。

ただし誤解のないようにいっておきますが、証券会社も何とか上がる銘柄の資料を作ろうと努力はしているのですが、それは不毛の努力であることにとっくに気がついており、それなら、 客のおぼろげな期待感に明確な輪郭を与える資料を作ったほうが商売がやりやすい、という事 情なのです。

どんな商売でも、客の思いに同調するというのは基本中の基本ですからね。 つまり、プロでさえ株価の予測はあきらめているのです。

ですから私たちもまた、株価の予測をあきらめなければなりません。

これから幾度となく繰り返し語っていくことになると思いますが、相場の道の深化進化は、常 に「あきらめ」と共にあるのです。

しかし希望は、絶望のとなりで、必ず心ある者を待ちうけてくれています。

変化は、あきらめた正にその時にやって来るのです。 それには、あなたは少しずつ捨てていかなければなりません。

相場に対する自らの思いこみ、錯覚、誤解、カッコよく言えばアイデンティティーを少しずつ捨 てる、つき物を落とすように削ぎ落とす、その時あなたは一つの覚醒を経験し、そして変化が静かに訪れてくるのです。

株価の予測をあきらめる、それはあなたが材料から自由になる、市場のテーマと主体的に向き合える、即ち情報の呪縛から解き放たれる「解放記念日」なのです。

考えてみればこれまでどれほど、あることないことの材料なるものに振りまわされ、情報集めに努力してきたことでしょうか。

情報は、会社四季報、日経新聞、お気に入りの投資雑誌1冊、そして何よりも○○先生とこのHP、これですべてと決めたら、どんなにすっきりすると思いませんか?(チャートに関しては 別の機会に)

材料は無視して基本的な数字だけをもとに、「高度な単純さ」を持って売買する、 投資雑誌は暇つぶしに寝転んで、芸能人のスキャンダルを楽しむように読む、 時々、3ヶ月前の雑誌を取り出して、これは少し真剣に読む(雑誌や新聞の効用は、3ヶ月前 のものを読むことにあります、詳しくはいずれ)、

逆張り投資家の第一歩は、まずはここから踏み出されるのです。

<引用ここまで>



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