自分で調べ考える

いつも観させていただいているRYUさんの動画だ。

今回の RYU’S ROOM TV は 50代からの貧乏ながら気楽な人生TV の姉妹版のようだ。

この動画もとても大切なことを私たちに教えてくれている。

https://youtu.be/mE99G1Iay_o

私の株の先生もよく簡単な質問は自分で調べるように言っていたのを思い出す。

先生は「私はAという疑問を持ち自分なりに調べて、ここまで分かったのですが、Aのここのところを調べてもどうしてもわからないのです、どうしたらいいでしょうか?」という具合にして下さいと言っていた。

先生は自分で調べず、安易に答えだけを知ったとしても、それでは身につかないと言いたかったのだと思う。

私たちがイメージする“よい先生”とは、生徒の分からないところを、分かりやすく教えてあげられる先生である。

それは言い方を変えれば、質問・疑問に対して、生徒に回り道をさせず、最短距離を示してあげられる先生が、よい先生ということだ。

しかし世の中に出てみると、答えのないことの方がほとんどだ。

明確な答えが用意されていて、聞けば答えが返ってくることを当然のことだと考えていた生徒にとって、自分の頭で考えるとイライラする子が多いのだそうだ。

しかしだからと言って、もし「安易に先生に聞かずに、まずは自分の頭で考えてみなさい」と生徒に言ったならどうなるだろうか。その話はすぐに親に伝わり、親からのクレームにつながる。

たとえ先生が“自分の頭で考えられる人間”になってもらいたいがために、そう言ったとしてもだ。

この問題に対しても明確な答えなど存在しない。

昔、面白い話を聞いたことがある。

それは漢王朝建国に貢献した 、漢の三傑の一人、張良の話だ。

張良がまだ若い時、黄石公という老人に弟子入りし、太公望の兵法を教授してもらうことになる。

しかし老人は何も教えてくれない。ある日路上で出会うと、馬上の黄石公が片方の沓を落とし、履かせるように張良に言う。張良はしぶしぶ沓を履かせる。

また別の日に路上で出会うと、今度は両足の沓をバラバラと落とし、履かせるように張良に言う。張良はムッとするのだが、沓を履かせたその瞬間に兵法奥義を会得するという話だ。

たったそれだけの不思議な話だが、古人はここに学びの原理が凝縮されていると考えたそうだ。

沓を故意に落とすという行為が2度続いたからには、そこには師からのメッセージがあるはずだ。それは兵法の極意に関することに間違いない。とすれば、沓を落とすことによって師は、何かを私に伝えようとしているにちがいない。張良はこう思いを巡らした、その瞬間に太公望の兵法の極意は会得されたのだった。

分からないところを自分で調べ、考え、考え抜いたところに、師匠の的確なアドバイスが上手く加わわれば、秘伝を会得することは可能だということだ。

何かを学ぶには、学び手の努力が必要となる。 特に兵法や株トレードのような形のない、目に見えないものは学ぶ側の積極性が絶対的に必要だ。受け身では決して身につくものではない。

私の株の先生もそう言いたかったのだと思う。

そのお陰で私は資産を築くことができ、相場技能(見方、考え方、建玉操作、等)は一生の財産となった。さらにそれは株トレードのみならず、人生にも応用可能な技能でもある。

先生には感謝しかない。

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