株売買の軽視に疑問を投げかける。(せめて誤解は解きたい)

今回の記事は、株掲示板で秘密の小部屋さんの原稿がまったく意図しない形で使われていることへの深い憤りと株で生活することの覚悟が書かれています。

<引用ここから>

半分酔った頭で、久しぶりにクラブをみたら、私の原稿がまったく意図しない形で引用されていました。こうしたことはこれまでも何度かあったので、原則としてあきらめることにはしているのですが、初心の方や、最近クラブに参加した方々が誤解されるといけないので、せめて最低限の誤解は、解いておきたいと思います。

私はこれまで、株式投資で生活することの困難さ、いびつさを繰り返し述べてはきましたが、決して否定したことはありません。

いやむしろ、極く少数のそうした意欲ある方々に向けて、心からのメッセージを送らせていただいたつもりです。

例えば株式テーブルの6599を、お読みいただきたいと思います。 かつて誰が、何処の本に、これだけの熱いメッセージを書いたことがあったでしょうか。

私が繰り返し書いてきたのは、何故、株式投資に失敗するのか、それは、考え方が間違っているからだ、という、ことでした。

今再度、繰り返していってしまうならば、
株式投資は、経済とは何の関係も無い、ということであり、
いや、もしかしたら関係があるのかもしれませんが、少なくとも、
株式投資で利益を上げるには、経済とは何の関係も無い、ということであり、 もっといってしまえば、最近の株式テーブルにかかれれているようなことは、全く関係がない、という事なのです。

経済を語ることで、相場を語ったつもりになる、
経済を知ることで、相場を知ったつもりになる、
その、最初の間違いから、直していかなければ何も始まらない、という事なのです。

例によって、俳句を少し書かせていただきます。

○ 凍蝶(いてちょう)は 海を見てしまった 蝶なのだ

〇 体内を 時に鯨の 叫び声

私の拠って立つ立場は、つまるところ相場とは、海を見てしまった人間の、叫び声を聞いてしまった人間の営為なのだ、という事であり、それは善し悪しや良否や往来を越えたものであり、そうでない人間(社会的に上手くやっている人間)に、とやかく言われることには、ましてや私の原稿を、まるで異なった方向に引用されることには、非常に不愉快な思いを禁じ得ません。

実は、相場で利益が上がらないのは、趣味で楽しみで呆け防止でやっているからなのです。 逃げ場を用意し、言い訳を用意して、何の勝つことが出来るでしょうか。

このクラブでも再三話題になる、立花義正氏の「あなたも株のプロになれる」という本の(いまだ読んでいない方は、全くの問題外ですが)すごさは、実は今まで多くの方が語ってきたような、 波乗りのやり方、などにあるのではありません。

本の前半部分で、氏は信じられないような失敗を繰り返し繰り返し、犯しています。
少しも利益を上げていないのです。

ところが片足切断という不慮の事故にあい、会社を辞めざるを得なくなります。 そこで氏は、全然儲けてもいない株式投資で、生活せざるを得なくなってしまうのです。

そしてそのとたん、氏は利益を上げられるようになるのです。
この本のすごさは、正に前代未聞のその変貌振りにあるのです。

遊びを拒絶した、楽しみを拒絶した株式投資。
その覚悟あらばこそ、相場の方もその様々な意匠を剥ぎ取った、真実の姿を赤裸々に露呈してくれるのです。
そうした人間は、島津ごときで、おおはしゃぎするわけにはいかないのです。

勿論私は、株式投資で生活することを勧める立場には、立ちません。
しかし決して、それを否定する立場にも立っていないと言うことを、ご理解下さい。

私如きが、あえて一言言わしていただけるとするなら、 夢というのは、叶ってしまえば以外とつまらないものであり、しかもその瞬間から、新たなる苦 しみが始まる、とでもいったことでしょうか。

○ 銀杏散る ひとひら遠くで 誰か泣いた

○ 雨だから 泣かずにいられた 花野かな

○ ヒヤシンス ずっとクロッカスと 思ってた

最低限の誤解だけは、解かしていただきたいと思います。

○ さよならと 書いた背中に 雪が降る

○ 星流る 背骨は悠久 なる大河

<引用ここまで>

次回からは「秘密の小部屋通信」をおおくりします。

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