Re:秘密の小部屋通信(中)相場の本質は決断にあり

この記事は2003/07/27のものです。

[Re:秘密の小部屋通信(中)] への返信として書かれたものです。

<引用ここから>

〇〇〇さん、お元気でご活躍のご様子、掲示板で拝見させていただき、いつもすごいなあと、感心させられています。

これまで、メモやレスには、どうにも面倒で返信したことはなかったのですが、あまり失礼を重ねてもいけませんので、少しだけ書かせていただきます。

その前に〇〇先生、短歌ではなくて俳句ですよ。 どうも先生は少しとぼけたところがあって、それがまた堪らない魅力になっているんですね. もっとも少しとぼけたところでもないと、とてもやってはいられませんものね。

さて、私は淡々と、心に波風ひとつ立てずに、淡々と相場をやっています。

それは別に、私が優れているわけでもなんでもなく、正に今回私が書いた、相場に対する基本的な認識が、もっとわかりやすくいうなら相場に求めるものが、〇〇〇さんとは、全く異なっているからに他なりません。

この25年間、3~4年単位ぐらいで大儲けと大損を繰り返してきました。

その結果、この10年、私はただ生活費さえ稼げればいいという考えで相場に対処していますので、さほどがんばる必要がないと言うだけのことでしかありません。

もう少し詳しく言うと、以下のようになりますが、ただマネーマネジメントも以下の箇所は、少し書きすぎではないでしょうか。

なんとなれば、マネーマネジメントもテクニカルも、すべては心の平衡感覚を維持するために必要なものなのですから(私にとっては)。

1、私が(恐らくは)10歳以上年をとっているから。 下の娘はまだ大学生ですが、今後年々、必要な収入が減ってくる年代に差し掛かっていますので、気が楽なのです(何とまあ、夢のないことよ)。 同年代の連中も、リストラ等で収入が減ることはあっても増えることはないと言っています。 頭のほうも少し、呆けかかっていますので、不必要な心配はできないようになっています。

2、担当の証券マンを通じて、株式に翻弄される様々な人々を見てきて、また末端の部分における巧妙な仕掛けなどもしっているから。

ネットで取引している人の欠点は、株式投資と言う最も人間くさい行為を、最も人間味の薄い仕組みで行っているところです。 証券マンは迷うと私のところへ来て、「先生、どうでしょうか」と聞きに来るので、こういう時は、こうやってやるんだよと、教えてやっています。 株式市場におけるたいていの人々の心理は、ほとんどすべて理解しているつもりでいます。

3、〇〇〇さんはエリートですが、私はブタクサみたいなものだから。

大学も行かずにぶらぶら、食えなくなって仕方なく自分一人でささやかな仕事をぼちぼち、そのうち仕事を放り投げて相場で生活してちょぼちょぼ。

私がどうなろうが、誰も何とも思いません、それが堪らなく快適なので、別段非難されてもどうでもいいのです。 自由に生きて、枯れて行くだけのことです。 成功して、見返したい人間もいませんし、失敗しても笑われるわけでもありません。

以上ですが、私の感覚からいうと、無心の境地に成れた時免許皆伝するのではなく、やれ免許皆伝だとか何とか、そんな事はどうでもよくなった時、無心の境地になれるような気がしています。

さて、書いていて少し恥ずかしくなったので、せっかくですからここまで読んでくださった方々に、ひとつだけ役に立たないメッセージを書かせていただきます。

2000年春の、日経新聞のあまりにも愚かな銘柄入れ替え以来、日経平均には全く興味がなくなりましたが、少なくとも中低位株の多くは、去年の晩秋から初冬にかけて、大底を打ったように思われます。

評論家はともかく、私たち実践投資家にとって、大底を打つということは、一体何を意味しているのか、おわかりですか?

それは、少しづつ本当に少しづつでいいのですが、売買のルールを変更していかなければならない、ということです。

損きりのラインをゆるめたり、一括売りを2回に分けて売りあがったり、ただし、必要以上の欲は身の破滅のもと、くわばらくわばら。

株式本も、下げ相場に合わせたやり方を書いてある本には、要注意。

<引用ここまで>

「秘密の小部屋通信」はここまでとさせていただきます。次回からは「大人の相場、子供の相場」の連載が始まります。

スポンサーリンク
スポンサーリンク




スポンサーリンク