大人の相場、子供の相場(2)

この記事は 2003/09/08に書かれたものです。

<引用ここから>

〇 夏期休暇了へし日 火星近づける

さて、大人と子供の違いはどこにあるのでしょうか。

様々な相違の中で、ただひとつ最も決定的なものをあげろというなら、間違いなく「時間」というものに対する認識の違いだと思われます。原則的に時間の感覚は年齢に比例しますので、子供ほど激しい時間の流れを感じて生きているはずで す。10歳の子供の1年は20歳の青年の2年分、40歳の中年の4年分、60才の高年の6年分というわけです。

〇 2003年4月 アトムの見る戦(いくさ)

イメージとしては、かなり長い河の流れが最も適しているのではないでしょうか。上流の早い流れとともに人生が始まり、中流の緩やかなる時の流れ、そして下流の駘蕩たる時の軋み。

○ アイシテルアカルイアシタ死クラメン

次に、子供であるほど「時間」を価値評価の基準にされやすいと言うことです。しかも、年齢が幼いほど、その時間軸はどんどん短いものになっていきます。 テストは、50分内に出来なければ、いくらわかっていても一切評価されないのです。 有名なK式の算数塾では、数分以内に出来なければ出来たとみなされません。

〇 柿もはやころがることしかなき坂道

アインシュタインやエジソンなどの天才が、子供時代成績が悪かったというような話がよくありますが、彼らは恐らく解っていたのではないか、それどころか普通の子供たちよりも遥か遠くを眺めていたのではない か、と思ったりもします。ただそのことを表現するのには、与えられた時間があまりにも少なすぎたのではないのか、結果、彼らは劣等性の烙印を押されたのかもしれません。

いくらなんでも大人には、1時間以内に結果を出せと言うような仕事はないでしょう。 もしあったとしたらそれは何の価値もない空しい仕事でしょう。

○ 鎌倉の 古寺に一礼 水着の子

更に言えば、子供は大人によって、常に急ぐことを要求されています。 成長するまでに何度、あの忌まわしき「早くしなさい、何のろのろしてるの」と言った非難に(しかも最も愛 する親から)晒されることでしょうか。

えっ、いまだに奥さんに言われているって、それじゃあ、トラウマになってしまいますよね。

〇 崩れ行く ビルを見ている 蟇(ひきがえる)

話を進めましょう、せめて中年の早さくらいには。つまり大人の相場と子供の相場の基本的な相違は、時間と言うものをどう捕らえるかの違いだということです。

そしてこの時間に対する感覚の相違が、相場においては決定的な相違となって現われるのです。ただここで勘違いしていただきたくはないのですが、年を取っていても子供の相場を張る人はいっぱいいますし、若くても堂々たる大人の相場を張る人も少しはいます。

○ 階段を捩じれば 蚊取り線香である

顕著なのは、塩漬け株投資以外投資経験がほとんどないにもかかわらず、定年退職した後、本気になって株式投資を始めた人々です。彼らは、自らの残された時間の少なさを意識し過ぎるあまり、本気になればなるほど、極めて性急に結果を求め様とし始めます。

あまりに悲惨な結末に至った人を、少し見聞してきました。

○ 象がふと 象をやめたくなる 秋暮

但し、それならば私が、「なんだ、長期投資を勧めているのか」などとは、間違っても思わないで下さい。 そうした性急さが、人を歪めることはよくあることです。 長期投資という美名に隠された、国や企業の思惑に、やすやすと釣り上げられてはいけません。 大体、私がそんな単純なことを書くはずもないでしょう。

○ 蛙裂く 午後の理科室 光溢る

以上、「時間」こそが大人の相場と子供の相場を分ける、決定的な要因である、と言う序論を終えて、それがどれほど決定的なことなのかをいよいよ具体的に、展開していきたいと思います。

見ているのは同じひとつの相場、しかしそこにはまるで球と直方体を見ているような相違があるのです。

〇 頭上より 落ちし鉄片 夏了へる

ただ、今ふと頭に浮かんだのですが、相場に対する私の基本的な認識のひとつである、「長期投資とい う美名に隠された誤謬性」について、一回だけ書かせてください。 書くことは無限にあるのですが、いかんせん面倒くさいのです。

「市場にはたった2つの感情しかない、希望と恐れである。問題は恐れるべき時に希望を持ち、希望を持つべき時に恐れることである」(確かジェシー・リバモア)

(次回、2日後)

<引用ここまで>



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