歩く銀杏(7) 前編

歩く銀杏 (7)も長文のため前編と後編に分けます。

<引用ここから>

書く、という行為が持つ奇妙な自律性に私も捕(とら)えられてしまったのでしょうか?前回の最後に、まさか自分があんなこと(投資の未熟な自分が、何故それでも何とか相場界で生き延びていられるのか)を書くとは、夢にも思いませんでした。 すぐ、基本形その2に進むつもりだったのです。

小説家の秘密な楽しみの一つに、登場人物が当初の予定を超えて作者の手を離れ、自由自在に動き始めることがあるそうですが(プロの〇〇先生が読まれるのに、解ったようなこと言って申し訳ありません)、そんな秘密のホンの一端、覗きこんだような気になっています。 というのも、もしかしたら私はそのことをこそ本当は書きたかったのではないのか、という思い、どうにも頭の片隅から去らないのです。

そこで私が考えた4つのこと、じっくりと書かせていただくことにしました。 投資とは直接関係しない部分も多いため、つまらぬオヤジの話、次第にアキテくる方も多いと思います。つまらなくなったらそこまでで、読まないで下さい。 生意気一つだけ言わせてもらえるならば、人はどの文章を読むか自由に選べますが、文章のほうもまた読む人を選ぶのです。

もともと、この広い空の下どこかに必ずいるはずの、限られた未来の相場の天才たちに向けて書き始めたメッセージ(勿論本人はそんな事とも露知らず、ただ人生に漠とした生きにくさを感じている若き未来の天才たち)、どこへ行くのか、私にも解らなくなりました。 長くなります。 前置きだけでこんなにあるんですから。

〇〇先生、まずそうになったら小部屋ヤメロと仰ってください。 先生の仰られることには、すべて従います。

かつて小学6年生だった頃(あの頃は私も人気者だったなあ、いつからこんな風になってしまったのだろう、と書きながら、実はいつからかだか、解っているのですが)、担任の教師が、繰り返し私たちに言った言葉が、忘れられません。 それは、発明王エジソンの言葉で、 天才とは99%の努力と1%の霊感からなるという言葉でした。

日本中が高度経済成長に向かって驀進し始めようとしていた正にその前夜、教師は99の数字に だまされて、努力努力と、いまだ幼き経済戦士予備軍の尻を叩きつづけたのです。 後に、努力とはパーキュレイション(発汗)の訳であり、霊感はインスピレイション(閃き)の訳であることを知りました。

しかし生来の怠け者である私は、エジソンは本当に努力の大切さを言おうとしたのだろうか?と、 疑問を抱いたのです。

もしかしたらエジソンは、確かに努力は大切なのだけれど、いくら努力しても、1%のインスピレイシ ョンが無ければ努力は空しくなる、ということをいいたかったのではないのか?と。

真偽はともかく、このことは相場にも当てはまるのではないか、と私は考えたのです。 振りかえれば、これまで実に数多くの技法に関する本を読み、その技法通りにやってみましたが、 本に書いてあるようには、なかなかうまくいきませんでした。

たとえうまく行くものがあっても、その利益は、犠牲にした膨大なる時間と空間の質量に比べると、 あまりにささやかなものでしかありませんでした。 その理由の一つは、本の著者が3~5年くらい、ある方法で利益を上げたとします。 そこで自分は相場の秘法を開発した、という錯覚に陥り、自信満々本を書き世に問います。 しかし相場は変幻自在かつ非情であり、私が実行するときにはその秘法たるものが通用したときとはまったく異なった相場つきになっており、秘法は、無残にも砕け散るのです。

そういう試行錯誤の果てに私がたどりついた不変に最も近いと思われる方法が、すでにご紹介した 「波乗り法」と、これから紹介しようとする「パック法」の2つの基本型とその応用なのでした。

しかし私は、もしかしたら、と考えたのです。 もしかしたらいくら努力しても、1%のインスピレイションが無ければ、不変の相場法は完成しないのではないのか、ということです。

相場道の井戸を、発汗して汗を拭って発汗して、掘って掘って掘って掘りまくります。 その努力は、絶対に不可欠なものです。 なんといっても、99%なのですから。 エジソンが、それこそ気の遠くなるような実験を重ねたことは、つとに有名です。 しかし、その方法を本当に実りあるものにするのは、相場の様々な本の中には無い、もっと違った 場所から突然にやってくる、インスピレイションの曙光が無ければならないのではないか、と思ったのです。

ジョン・レノンという貧しい孤独に歪んだ魂を真摯に見つめつづけた一人の忘れられた青年に、ポ ール・マッカートニーという苦労知らずのお坊ちゃんの明るく輝く光が当たったとき、ビートルズという 天才が誕生したように。

大田光という、高校3年間、ついに学校ではただの一言すら口を開かなかったという伝説を持つ孤独で偏屈な青年の潜められた悪意に、田中裕二という、高校時代、全校で人気者NO1だった男の、 大田の偏執的な言動を優しく耐えて包みこんでくれる何も考えない暖かい光が当たったとき、爆笑問題という天才(?)が出現したように。

勿論、チフス(だったかな?)の蔓延する都会を遠く離れた田園で、他人から嫌われつづけた一人の学究の足元にリンゴが落ちたとき、リンゴは落ちるのになぜ月は落ちないのか、と瞬間閃いたときのように。(当然これは作り話ではあるのですが)

では、相場にとってのインスピレイションとは、どのような様相を帯びているものなのか。 それは各人の性格や生活の意志力の相違などによって、正に様々だと思います。 ただもしかしたら、それはこんなようことに、極めてわずかではあるのだけれど、こんなようなことに似通っているのではないか、と思うのが、私が思い当たった4つの要因なのです。 つまり、こうした側面から相場を考えてみるのも必要なのではないか、という事です。

こんなことを書いた文章を読むのは、初めての方も多いと思います。ですから、気を付けなければなりません。これはもしかしたら、あの荘子が見たという、午睡のまどろみの中に出てきた「胡蝶の夢」でしかないのかもしれませんから。 それでは、比較的相場に近い常識的なところから書いていきます。

<引用ここまで>

(つづく)

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