大人の相場、子供の相場(3)

この記事は2003/09/10に書かれたものです。

<引用ここから>

以下、長期投資に言及しながら、株式市場の基本的な構造について、書いておきます。最低限、以下のことだけはよく理解しておいてください。

こうしたことは一見、何の役にもたたないように思われますが、長い目で見るとこうした認識を持っている かどうかが、大きな違いとなって現われてきます。 相場では、すぐに役に立つ知識は、すぐに役に立たなくなるのです。

但し私は「大人」ですから、という事はずるい人間であるわけですから、1割しか書きません。 怒られてもつまらないですしね。

長期投資、という言葉を聞くたびに、私は、小学6年生の時のことを思い出します。あれはいつまで続いたのでしょうか、私の子供時代には、学校子供貯金というものがあって、毎月1回50 円なり100円なりを学校に持っていき、郵便貯金をしたものでした。

たまたま私の担任の教師がその貯金に熱心で、毎年、貯金コンクールの県代表に選出されていて、それだけが彼の自己証明の唯一のものだったのです。 そのため私は、本部役員をやらされ、彼の異常な熱情の犠牲になってしまいました。

月1回の貯金日の後は、10日間近く日暮れまで残され、全校生徒一人一人の本帳になれないペン字で貯金額を記入していくのです。 少しでも失敗すればすべてが遣り直しです。また様々な統計を取り、それをグラフにまとめたりするのです。

何といっても県1位にならなければならないし、すでに何年も連続して県の代表になっているのですから、私たちに課せられたハードルの高さは、並大抵のものではありませんでした。放課後、校庭で遊ぶ仲間達を横目で見ながら、無性に腹が立ったことを覚えています。持って来れない子供も多少いて、のちに、貯金の日だけは本当に嫌だったよ、と、言われたことがあります。

今なら差別だとして、とても考えられないことだと思います。幸い、その年も県の代表になり、東京の表彰式に出席した後、教師がまだものめずらしかった東京タワ ーに連れていってくれたことだけが、唯一の楽しかった思い出でした。

そうです、当時日本は、そんな子供のささやかな小遣いさえ必要とせざるを得なかったほど、貧しかったのです。国も産業界も資金不足に悩んでおり、国民のお金を必死になって集め様としていたのでしょう。

そして、この国は豊かにこそなりましたが、いつの時代も、国や産業界がなんとか国民のお金を還流させ ようと努力していることだけは、変わりありません。 いまだに国民の資産1400兆を、いかに呼びこむか、という議論が政治家や役人の間で交わされ続けて います。

戦後、間接金融の分野では、マル優という撒き餌で資金を集め(900万円まで無税、などといわれると、 そこまで預貯金をしなければいけないような気になってくるものです)、その時、直接金融の世界で撒き餌となったのが、株式は長期に保有するものだ、という幻想を振りまくことでした。松下や東通工(ソニー)を戦後ずっと保有していれば、増資その他で何千倍になった、などという、例の幻想です。

それは確かに真実ではあります。と同時に、そのBuy and Holdの思想には、一度国民に投資させたお金は戻したくないという、強烈な意志が働いていたことも間違いありません。

関係者でもない一介の投資家が、海のものとも山のものとも定かではない時点で東通工を買い、それを数十年間も持ちつづけることが、果たして可能でしょうか。

しかもその裏には、ソニーに変身できなかった無数の東通工の残骸が、横たわっているのですから、もし残骸の方を買ってしまっていたなら、、、しかもその方が遥かに高い確率なのだから、、、
宝くじの1等賞金が、三億円ですよ、といわれ1等を夢見て宝くじを買うようなものなのですから(少し違う かな)。

勿論国や産業界は私たちより遥かに巧緻にたけていますから、そうした非現実的な思想だけでは、国民に投資させられないことなど、とっくに理解していました。

そこで始まったのが、「塩漬け株大作戦」だったのです。

(次回、2日後)

<引用ここまで>

スポンサーリンク
スポンサーリンク




スポンサーリンク