君微笑めば 君に散る(1)

 この記事は2004/05/13に書かれたものです。

<引用ここから>

いやー、ninomiyakinjirouさん、余り驚かさないで下さいよ。 他の方ならともかく、ninomiyaさんに誤解されたのでは少し辛いので、はっきりと否定しておきます。 この方は、私とは全く別人です。

でも、なかなかおもしろいホームページで、私はほとんど、というより、まったくこの種のものは見ませんので、ネットの世界の奥深さに、触れたような気がしました。

ついでですから、少し書いてみますが、たまには書きにくいことでも書いてみましょう。今回は、思いつくままに書かせていただきますので、話には何の一貫性もないことを、はじめにお断りさせていただきます。

私もこの方と同じように、林さんの本は随分と熟読させていただきましたので、そのなかの、はてどの本 でしたか、アメリカでは相場師のことを「秘密の小部屋の住人」という、なる記述に触れまして、自ら名づけたわけですが、恐らくはこの方も同じだと思われます。

でもすでにご承知だと思いますが、私は生まれついての怠け者ですので、とても自らのホームページを持つなど、考えただけでも眩暈がしてくるほどです。 皆さん本当に、よくやられる。

ただ相場に関していえば、単に怠け者というだけではなく、次の二つの理由によって、人は次第に寡黙になって行くように思われます。

1、相場というものの本質が解ってくればくるほど、寡黙にならざるを得ない。 2、(塩漬けした結果としてなったのではなく)、正常な利益が蓄積されてくれば必然的に人は少しづつ長期的な投資スタンスに変化していきますので、長期的なスタンスになればなるほど、寡黙にならざるを得ない。

大切なのは、この相場の本質について、なのですが、その前に、〇〇〇さんがそれなりの対価を貰って意欲に燃えていられる方々をご指導なさっておられるとのこと、対価を要求するのは、当然のことだと思います。

私もこれまでこの掲示板で、「歩く銀杏」以降、いくつかの連載をしてきましたが、総て申し訳なくも、ホンの入り口で中断してしまいました。勿論、書くのに疲れたこともありますが、本心言えば、そうです「タダで教えられるか」といった気持ちになったからです。

この、タダ、には、単に無料、という意味合いだけではない、さまざまな思いがこもっています。

例えばこの掲示板に、私の「空のシステム」について書いたとしてみましょう。 まず、読んでもらいたくない人に読まれることが、耐えられません。 また、真剣に理解しようとする人が、真剣であればあるほど抱えてしまう誤解を、ひとりひとり、そうでは ないんだ、と説明することが出来ません。(誤解は面白いほど、皆、千差万別なのです)

そして何よりも、お金などどうでもよいのです、何とちっぽけな人間なのだ、と、お笑い下さい、あえて書きます、やはり、感謝されたいのです。 私には、これしかない、でも、これだけはあるのだから、心から分かり合える、数人の人間にしか、伝える気持ちにはなれないのです。

でもね、〇〇〇さん、立花さんの本の、158ページを、どう理解なさりますか。 実は、立花さんも私も、〇〇〇さんほど本格的ではないのですが(私などホンのささやかなものですが)、今回の〇〇〇さんのようなことは、皆、通り抜けて来た道なのです。

人は、(相場においては特に)自分固有の意見など誰も持っていません。持っているのは意見ではなく、立場なのです。 現金を持って買いをうかがっている立場の時は弱気の意見を語り、ひとたび予定通りのポジションを取り終われば、正にその瞬間から、相場は上がる、という強気の意見に変貌します。 総て、自分のおかれている立場が、語らせていることにすぎません。

確かに当初は、燃えるような情熱で参加するかもしれません。しかし、人の立つ立場ほど、正に移ろいやすいものはありません。 損をした立場に立つ人もいれば、始末におえないのは、利益を得た立場に立った人です。 人は何故、もっともっとと、儲けようと思うのでしょうか。 人は立場によって意見を変える、と思ってしまえば、賢明なる○○〇さんのこと、巧みに処理できることと思います。

話は前後しますが、この人は単に立場でモノを言っているにすぎない、ということが理解できると、相場界でコメントしているさまざまな人々の意見を、どのように受け止めればよいか、ということが解ってきます。

(以下、次回)

<引用ここまで>


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