世界遺産 北中米編

メキシコ・シティーには6か月ほど住んでいた。富士山5合目に位置するため、空気が薄く、さらに日中は暑い。長く居れば居るほど観光に行く気がなくなってしまう。実際メキシコ・シティーに長期間居ながら、その時テオティワカンには訪れていない。

最高にすばらしい、もう一度行きたい ◎

もう一度行きたい 〇

一度行けば十分 △

行って損した、交通費と時間を返せ! X

アメリカ
自由の女神像

 

自由の女神像は全長は93m、台座を含まない部分は46.05mあり、重量は225トンある。右手にたいまつを持ち、左手にはアメリカ独立記念日(1776年7月4日)とフランス革命が勃発した日(1789年7月14日)が刻まれた独立宣言書を持っている。

マンハッタンとスタテンアイランド間を往復する連絡船に乗れば、自由の女神の近くまで行ってくれる。この船はありがたいことに無料だ。△

メキシコ

古代都市テオティワカン

 

メソアメリカ先住民により建造された紀元前2世紀から6世紀までの間だけ存在した宗教都市。突然文明が滅びて放棄されていたこの都市を14世紀に発見したアステカの人々は、あまりのスケールの大きさに人の手による建造物だとは信じられず、「神が集う場所」という意味を持つテオティワカンという名をつけた。

世界で3番目に大きいピラミッド、太陽のピラミッドや月のピラミッド、ケツアルコアトル神殿などの、巨大な宗教的建造物から構成されている。登ることを許される世界最大のピラミッドでもある。〇

グアナフアト歴史地区と鉱山

グアナフアト歴史地区と鉱山はメキシコシティから北西方370 km に位置する、メキシコ・グアナフアト州の州都である。グアナフトはスペイン植民地時代の美しいコロニアル建築で構成された、歴史的な市街地が残る美しい都市。

ペンション・アミーゴで一緒に泊まっていた人たちと一泊した。とても美しい街並だ。学園都市ということもあるのだろうか、とても落ち着いた街だった。〇

オアハカ歴史地区との考古遺跡

 

オアハカ歴史地区とモンテ・アルバンの考古遺跡は、メキシコ南部の南シエラマドレ山脈中のオアハカ渓谷に位置する都市オアハカに残る歴史的建造物と、オアハカの南西10kmにある丘陵の頂上部に作られた古代都市モンテ・アルバンに残るメソアメリカの遺跡から構成される。

メキシコ・シティーからグアテマラ・シティーに行くのに丁度いい中継地点だったので、何度か立ち寄ったことがある。はじめて訪れたのは4月、とにかく暑かった。モンテ・アルバンという遺跡が有名だということで行ってみたが暑いだけだった。しかしこのオアハカという町はなかなかよかった。モンテ・アルバン遺跡は△だが、この町は〇だ。

メキシコシティ歴史地区とソチミルコ

  

「メキシコシティ歴史地区とソチミルコ」は、人口2000万を数えるアメリカ大陸最大の都市メキシコシティーの地下に眠る古代文明の遺跡とアステカ時代の風景が残る「アステカの生きた遺跡」と呼ばれるソチミルコから構成される世界遺産だ。

ヨーロッパ文明と古代アステカ文明が融合した歴史を感じさせる大都市だ。標高2700m(富士山の5合目くらい)にあるためか、あまり積極的に動く気になれない。まったり過ごすには物価も安くいいところだ。〇

メキシコ国立自治大学 (UNAM) の大学都市の中央キャンパス

シウダ・ウニベルシタリア(大学都市)は、メキシコシティ南部のコヨアカン地区にあるメキシコ国立自治大学のメインキャンパスです。建築家マリオ・パニと、エンリケ・デル・モラルによって設計された。

1991年、メキシコに6か月住んでいた時、スペイン語を学びにこのUNAM(メキシコ国立自治大学)に3ヵ月間通った。まさか世界遺産になるなんて。△

グァテマラ

アンティグア・グァテマラ

 

グアテマラ高地に位置し、スペインのムデハル様式の影響を受けたバロック建築と、植民地時代に建てられた多数の教会の遺構で知られている。

訪れたのは1991年、スペイン語を安く勉強できるということで約2週間過ごした。とてもゆっくりした時間が流れているいいところだった。〇

ホンデュラス

コパンのマヤ遺跡

紀元前1000年頃から人間が住むようになり、海抜約640mの盆地に流れるコパン川北岸に都市国家が築かれて、7~8世紀には最盛期を迎えた。その最盛期には、総面積24平方キロメートルの王国に3万人が暮らしていた。

グァテマラからホンデュラスのウティラ島にダイビングに行く途中、世界遺産があると言うので訪れた。一度行けばいいかな。△

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