考える力

先日学習塾の先生と話す機会があった。

塾を卒業した生徒たちを見ていて、気づいたことがあるそうだ。それは、「塾の成績の良かった生徒が、良くなかった生徒に比べて、社会に出て生きる力がないのはどうしてなのか?」ということだった。生きる力がないとは、社会の中で起こるトラブルに対して処理する能力が著しく欠けるという意味らしい。

彼はそのことをこのように分析していた。

学校というところは、生徒の疑問・質問に答えなけれならないところだ。生徒の分からないところを、分かりやすく教えてあげられる先生がよい先生である。それは言い方を変えれば、質問・疑問に対して、生徒に回り道をさせず、最短距離を示してあげられる先生が良い先生であるということだ。

しかし世の中に出てみると、答えのないことの方がほとんどだという。

明確な答えが用意されていて、聞けば答えが返ってくることを当然のことだと考えていた生徒にとって、自分の頭で考えるとイライラしてしまうのだそうだ。

しかしだからと言って、もし将来の為を思って「安易に先生に聞かずに、まずは自分の頭で考えてみなさい」と生徒に言ったならどうなるだろうか。その話はすぐに親に伝わり、親からのクレームにつながる。

たとえ先生が自分の頭で考えられる人間になってもらいたいがために、そう言ったとしてもだ。

この問題に対しても明確な答えなど存在しない。

その先生は、生徒が自分で考えられる人間に育つには、どうしたいいのかといろいろ試行錯誤して考えたそうだ。そしてたどり着いたのが、想像力を身に付けさせることだったそうだ。「この問題はこんな見方ができるのではないか」と想像できる力を育てれば、自分で考える力が身につくと考えたのだ。

そして想像力を身に付けさせるために何が最も効果的かと考えてたどり着いたのが、読書だったそうだ。その先生は塾で生徒に積極的に読書を薦めているという。

なるほど、これは私が子供たちに教えていることと重なる。やはり私がやっていることは間違っていなかったと改めて思ったものだ。

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