聖と俗

金、土曜日と身延山に行ってきた。

白装束に身を包み、お題目を唱えながら登って来た。

登っているといろいろな考えが頭をよぎる。

今までの自分の人生こと、将来のこと、死後のこと、仕事のこと、お金のこと・・・。

その中で面白い考えが頭に思い浮かんだ。

なぜリタイヤ後の一般的な過ごし方が存在しないのか?

生まれてからリタイヤするまでのほとんどの日本人の一般的な過ごし方とは、こんなものではないだろうか。すなわち

学校に通い、就職して、結婚して、子供を作って、家を建て、60歳まで働く。

しかしながら、私が知りたいのは60歳以降の一般的な過ごし方だ。聞いたことがない。

なぜないのか?

山に登っていて、あれこれ考えた答え、それは

「人によって人生観が違うから、もっと言えば死後の世界を信じるか、信じないか」によるか

らではないかということだ。

きりんさんの きりんの自由研究 の直近記事「早期リタイア後のロールモデルについての結論」の中に書かれている「リタイア者の人生観パターン」をお借りすると、この考え方で2つのグループに分けられる。

死後の世界、さらに仏教の輪廻転生を信じるのであれば、今の生きている時に「徳」を積むことを考えるだろう。

その結果「信仰を追求する人」、「静かな生活を追求する人」、「ノブレス・オブリージュ型の人」といった老後のパターンになるだろう。

死後の世界を信じないのであれば、

「没頭できる遊びを追求し続ける人」、「快楽の追求をする人」、「興味の無限探求をする人」、「放浪を続ける人」といった老後のパターンになるだろう。

どちらが正しくて、どちらが間違っているかなど答えがあるわけではない。しかし正直私は死後の世界はないと思っているので後者の生き方を追求するだろう。

あるのかないのか分からない、あの世の生活のために、この世の楽しみを我慢するなんてナンセンスだと思っているからだ。

しかし「俗」の生活ばかり続けていると心が病んでしまうので、時には「聖」の領域に入って心を洗うのは大切なことだと思っている。

「聖」2割、「俗」8割でいいのではないかと思っている。

そう考えると時に信仰を追求、ボランティア活動、瞑想する生活をし、大部分を遊び、快楽、趣味、放浪をするといった生活にするといいのではないかと考えている。

やはり、「リタイヤ後の一般的な過ごし方」を見つけ出すのは無理だという考えに至った。

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