「サラリーマンになったら人生はおしまい!」
昔、こんなことを言った女の子がいた。彼女の言ったこの言葉がやけに記憶に残っている。
以前こんな記事を書いたことがある。
強い軍隊は末端の兵士の判断基準を単純にさせている。「上官の命令は絶対」というように、個々の兵士の判断を否定することで、効率的な行動を実現させているのだ。
作戦本部の命令が、中間組織によって歪められたり、遅らされたりすることなく、正確にそして素早く末端の兵士に行きわたる部隊が強いのだ。
これは軍隊に限ったことではない。会社にもあてはまる。
会社は常に利益を生み出し、生き残らなければならない。そのためには軍隊同様強い組織をつくらなければならない。
そのためには末端の社員の能力を高めなければならない。しかし同時に現場にはどんな理不尽な命令でも従わせ、自ら判断する能力や意欲を奪い取る必要がある。
自ら判断する能力を奪うのに一役買っているのが、あの「報連相(ホウレンソウ)」だろう。(報告、連絡、相談を縮めて、報連相という。)
余談だが、この報連相を初めて提唱したのは、あの相場の神様、山崎種二氏の息子の山崎富治氏だという。山崎証券社長時に著書『ほうれんそうが会社を強くする』の中で「報連相」が語られれていた。
会社側にとっては社員自らが判断する能力や意欲を奪いとるのに都合がよく、社員にとっては責任回避の安全装置として都合がよい。
何かトラブルが発生しても、社員は報連相さえしっかりしていれば、自らが責任をとる必要がなく、責任を上司に丸投げすることができる。
しかし逆に何かあった時に、報連相をしていなければ全責任を負わされることとなるが。
そんな便利な報連相であるが、決定的な不便がある。
それは自分で判断できなくなり、決断に恐怖を感じてしまう点だ。
自分で考え決断を下すことを当たり前と思っている相場師の私が、サラリーマン時代に違和感を感じていたことはそれだった。
毎日の朝礼で「何かトラブルがあったら自分で判断せず、上司に必ず報告し、しかるべき指示に従うこと」と言われ、これでは作業者は自分で判断せず、決断を他人任せにする習慣が身についてしまうではないかと思っていた。
こんなことを何十年も続けたらどうなるだろうか?自分では何も決められない大人の出来上がりだ。もし退職した時、自分で何かを決める習慣が身についていなかったらどうすればいいのだろうか?
自分で決断ができない60歳の老人が、老後をどのように生きていけばいいのだろうか?
たとえ経済的な問題がないとしても。
「行動は習慣をつくり、習慣は人格をつくり、人格は運命をつくる」そうだが、恐ろしいことだ。
「サラリーマンになったら人生はおしまい!」あの女の子が言っていた意味はこれだったのかもしれない。
大会社で働いていたサラリーマンであったはずの人が、会社を退職した途端に無能になってしまうとすれば、その人は「良きサラリーマンであった」と言えるが、同時に「良きサラリーマンでしかなかった」ということだ。