本当の自分の欲望

昔NHKで「Qわたしの思考探求」という番組を見やっていた。さまざまなジャンルで活躍している人が、日本を代表する哲学者と討論するという番組だ。

「心豊かな生き方とは」というテーマをあつかっていた時、一般欲望と固有の欲望の違いについて説明していた。

一般欲望、これはみんなが手に入れたい、もしくはなりたいという欲望。

もう1つは固有の欲望(自分の欲望)、他の人には無関心、無価値であるけれど自分はどうしても手に入れたい、もしくはなりたいという欲望。

多くの人は自分が本当は何が欲しいのか、何になりたいのか分からない。それゆえみなが欲しがっているものに価値があるのではないかと錯覚して一般欲望を欲する。

しかし一般欲望を欲した場合は失敗することが多い。なぜならみながそれを欲しているので倍率が高いからだ。しかし固有の欲望(自分の欲望)の場合はみなが見向きもしないため、成功しやすいそうだ。

一般欲望はあくまでも周りの人たち(一般の人たち)の欲望であり、本来私が欲している本当の欲望とは違う。

たとえお金をたくさん得ることができ、周りの人が羨んだとしても、本当の自分の欲しているモノ、なりたい自分が別にあるのであれば、自らの欲望はかなえられてはいない状態であり、結果どんなに周りからあの人は幸福な人だと思われたとしても、当の本人は少しも幸福感を感じることができない。

しかもお金は人を引き寄せやすい、お金を目的でまわりに人がどんどん集まるが、どんどん本来の自分の欲望をかなえらない状態になる。

これでは本当の自分というものはなくなってしまう。確かに人が羨む一般欲望をかなえてはいるが、これは私が望むものではなくあなたが望むものだ。これでは周りの人の人生を生きているのであり、私の人生を歩んでいないということになってしまう

人それぞれ欲するものが違うのは当たり前だし、そうでなければならないはずだ。個性とはそういうものではないだろうか?たとえ他の人にとっては無価値に思えることでも。

そんなことを考えていたら「森の生活 - ウォールデン -」のヘンリー・ソローが言っていた「いよいよ死ぬときになって、人生のもっとも大切なことが何なのか、自分が自分の人生を生きていなかったことを発見することのないようにしたいものだ」と言う意味が分かってくる。

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